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◆ヴィヴィアン・リー ――勝気と哀しみが表裏一体の<典雅>

Vivien Leigh4スカーレット・オハラの役を射止めたことが人生を支配したヴィヴィアン・リー
女優としても実人生さえもスカーレットが大きくその生を覆う、美しくかつ哀しい、その作品とその存在!

その晩年を跡付けるかの「ローマの哀愁」(’61)を観るとなおその名声と同時に悲惨も感じて余り在る。
人生のミステリーはヴィヴィアンの一種神経症的なその生涯を覆って女優としての光背を帯びる。

確かに「風と共に去りぬ」(’39)は、もはやリメイクを許さない完膚なきまでの完成度のキャスティング、それはスカーレットのみならず原作者マーガレット・ミッチェル自身がクラーク・ゲーブルを想定して書いたといわれるレット・バトラーにも、如実にその成果を示した。完璧なスカーレットと、完全なレット・バトラー、夢は現実化して、いま幾度でも再見できる、この至福!

しかし、これほどの代表作にまみえるだけのもう1本の名品が、ヴィヴィアン・リーにはある。
哀愁」(’40)である。

Vivien Leighそこにはスカーレットの、勝ち気に彩られたヴィヴィアンとはまさに表裏の、不安とわずかな希望に打ち震えるヴィヴィアンが燦として後光が射すように居る。
これが「風」と表裏であるのはそのモノクロームの映像にもさらに明晰で、戦時の暗黒の時代の中でさらに孤立し、貶められて行く運命の刻印はあまりにも哀切ではあった。
恋愛映画至上の名品と言って間違いの無き、哀しくも甘美な、この時間芸術の至純である。

GONE WITH THE WIND2当時世界一の美女としての誉れを「美女ありき」(’40)が示し、ウロンスキーに踏み迷う「アンナ・カレーニナ」(’48)のよろめきもあった。そして、遂にスカーレットだけではない女優としての刻印を「欲望という名の電車」(’51)の、狂気のブランチ・デュボワで女優人生を全うしたヴィヴィアン。その典雅にして哀愁にみちた一生。

「風」のあと、すぐローレンス・オリヴィエとの結婚、そして’60年の離婚、もはや精神のバランスさえ失ったかの、その後のある種の迷走。出演作品はその名声からすれば少ないにもかかわらず、見事に代表作も散りばめた、やはり女優としか考えられないその生涯。
女優としてこそがその実人生であった稀有な女優、それが美しくも哀しいヴィヴィアンの、さらなる誉れであるだろう。

<ヴィヴィアン・リー>Vivien Leigh(1913/11/5〜1967/7/7)フィルモグラフィ
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◆オードリー・ヘプバーン――目の前をしっかり見つめて行為した軽やかな<妖精>

オードリー7男性よりも女性に多くファンを持つと思われるオードリー・ヘプバーン

そのファッションと、ずっとスリムであり続けたその体型が同性の目標だったのかもしれない。

しかし、男からすれば、いささかノン・セックス、若き頃はより豊満でより女の色香に迷うものでもあるから、せいぜい「ローマの休日」(’53)や「昼下がりの情事」(’57)「許されざる者」(’59)「噂の二人」(’61)「マイ・フェア・レディ」(’64)といったところくらいしか見ていなかった。

オードリー9見ていなかったといってもやはり代表作というべき「ローマの休日」「マイ・フェア・レディ」は落とさなかったのも、その大スターの人気のほどはよく知っていたからで、なあるほど、というくらいのところではあった。

だがこの一両年、見落としていた「尼僧物語」(’59)「ティファニーで朝食を」(’61)「シャレード」(’63)「おしゃれ泥棒」(’66)「暗くなるまで待って」(’67)というところを観、結婚にはあまり恵まれず、晩年を国連大使として過ごした一女性の、生涯を知れば知るほど、ますますこのたぐいまれな存在の人間像が少しまた少し見えてきて、新たなイメエジを紡ぎあげたのである。

オードリー10まずはバレエを学んだことで「ジジ」の主役を射止めるという幸運も、彼女がその原作者コレットと出会うという偶然に発しながらの抜擢、その舞台を観たウィリアム・ワイラーがたちまち「ローマの休日」のヒロインに抜擢というのも、その一面識で魅了させる何かがあったわけだろうし、事実その共演者であるグレゴリー・ペックはそのとき既に大スターであって、晩年のペックの回顧ではタイトル前の名前は当初ペックだけという流れを「それでは僕がトンマに見えるよ」と、オードリーの名前もタイトル前に入れさせる異例の扱いをさせたのだという。

と、撮影前、撮影時からこの、人に感じせるオードリーの魅力というのはただ事ではない。
ウィリアム・ワイラーが主役級の女優を重ねて出演させることはむしろまれで、目立つのはベティ・デイヴィスと、オードリーくらいしかいないのである。「ローマの休日」以外は「噂の二人」と「おしゃれ泥棒」がその作品であるが、存分の成功は「ローマの休日」に譲るとしても、この巨匠の重なる起用こそにオードリーの価値もしのばれる。

オードリー11その少ないチャンスを見事に生かしていくオードリーの作品を観てくると、成るべくして成ったスターへの道がその出演作「尼僧物語」の尼僧の、真剣な煩悶にも似て、なにごとにも心に深く投影させていた女優業であり、結婚であり離婚であり、国連大使としてのありようであったことがよく伝わってくる。

優雅でファッショナブルな貴族性とともに、柄にもない下町娘を演じた「マイ・フェア・レディ」が、またなによりその人間としての幅を覚えさせるのも、こうして生涯を展望できるからこそなのかもしれぬが……。

<オードリー・ヘプバーン>Audrey Hepburn(1929.5.4〜1993.1.20)フィルモグラフィ
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◆吉永小百合――限りなく日本の故郷に近い<永遠>

吉永小百合残念なことに、吉永小百合の時代はもう終わったと、最近の映画作品を見てつくづく思う。
造り手に人材を得ない部分もあるが、より以上、もう時代が吉永小百合の身に沿うようなものではなくなった、ということである。もっと下世話に言えば、吉永小百合が担ってきた貧乏や孤独や哀切の想い、ひたむきさ、彼方を遠望するような理想の虹すらも滅んだ、ということである。

かつて吉永小百合は、少女が持ち得ていた<健気><ひたむき><汚れなさ>などの、多くの男が女に対して抱くア・プリオリな憧れの次元で、忘れ難い要素に満ち充ちていた。
吉永小百合は、ある世代には一種<神聖不可侵>の象徴でもあったが、ことのそれは日本が経済成長を遂げる前に過ごした青春を知る者に、彼女は貧苦の内の<星>であった。

当時彼女の出演いた映画の多くは、京浜工業地帯を舞台とする、定時制高校や工員・女工の青春を描いた作品であった。そこで吉永小百合は、恵まれない仲間を激励し、トラブルを収拾し、勇気と信頼の輪を広げるヒロインを、いつも健やかな微笑みと、彼方を遠望するようなまなざしで演じ続けた。

吉永小百合2一般的には初期の代表作として「キューポラのある街」('62)があるが、さらに「ガラスの中の少女」('60)、「泥だらけの純情」('63)なども忘れがたい印象を残す。
当時の吉永小百合は、まさに四囲が真っ暗闇にも見える挫折と苦衷にあるものにとって、一条の光源を灯す存在であり、筆者など「おふくろの味」というビートルズ<ヘイ・ジュード>を主題曲とするTVドラマなどもそうしたわが時代における道標だったような気がする。

多分、吉永小百合の芸域は広いものではない。
けれども逆境を寡黙に絶え、ひっそりと一途な想いを育て、絶望や諦観に流されない強さを持った、いわば日本の古典的女性を演じて随一、しかもそうした女性像はある意味で滅びつつある文化的伝統のひとつでもあったから、極めて希少な輝きを時代に照らしてきたわけである。

たとえば「動乱」('80)や「海峡」('82)で海辺にたたずむ吉永小百合から遠望されるものは、日本の山河、日本の大地、日本の故郷である。これが他の女優であったなら、作品の出来不出来、役柄の配置設定、共演者とのコンビネーションなどに大きく左右されてしまうに違いない。
だが、吉永小百合はここで、伝統的な<男気>の風合いを持つ高倉健と並ぶ利もあって、ここにはまったき日本の<永遠>さえ見えるのである。

細雪控えめであればあるほど美しさが匂い、寡黙であればあるほど熱情の強さが薫り、ひたむきであればあるほど<永遠>への道標が見える。そんな女優として、かつて吉永小百合は明らかに存在していた。

彼女は役柄を演じるタイプではない。役柄がむしろ彼女に寄り添う種類の女優である。もともと映画女優とはそうした大きなパーソナリティだったのである。今のところ日本映画最後の名品といってもいい「細雪」('83)の雪子は、その意味でも満腔の想いを身ひとつにしまいこんだ、見事な適役でもあった。

<吉永小百合>Sayuri Yosinaga(1945.3.13〜)フィルモグラフィ
◆いま観ることのできる吉永小百合出演作品◆

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◆アンジェリーナ・ジョリー――なにものにも縛られない逸脱の<感性>

アンジェリーナ・ジョリー「PlayBoy」表紙
コレ、プレイボーイの表紙なんですが、アンジェリーナ・ジョリーの魅力横溢の写真で、この表紙のために購入したようなものです。

まさしく普通の女性でない、逸脱の魅力といいますか、彼女が現代に生きている価値すべてが、逸脱の効能に充ちているのです。
まず生い立ち、家庭環境からの逸脱もあれば、その血統からの逸脱も感じられます。
その最大は見かけからの逸脱でもありますが、それを少しもとらえていない作品では見栄えも出てきませんが、これを知る作品ではもはや輝くばかり、男を虜にしてしまうに違いありません。

そもそも筆者がアンジーに開眼したのは「ポワゾン」(2001)ですが、その猥雑な唇をアップで撮るその監督は出世作とも言われる「ジーア/悲劇のスーパーモデル」('98)を撮った同じマイケル・クリストファー、まことに彼女を見せる勘所を心得きった名品といわざるを得ません。

彼女の趣味嗜好行為、そのいずれをとっても、なまなかではありません。その刺青ひとつをとっても、それはひとつやふたつの或る意味、化粧と呼んで済む程度のものではとてもなく、その時の相手の男性の名を後に潰して上書きしている箇所もあるようです。

アンジェリーナ・ジョリー左腕には兄のイニシャルであるHと、テネシー・ウィリアムズのことばがあるようですし、首の後ろにはアラビア語で意志の力を現わすことばが彫られているようです。太ももには黒い十字架があり、お腹には十字架とラテン語で……は私を滅ぼす、背中に大きな虎という具合に、日本で言えばシロウトの女性にはあるまじきふるまい。

これはさらに若き頃の自傷行為とも密接に絡んだ結果なのかもしれませんが、ナイフの収集といったものもあって実にある種一貫した流れが彼女にはあります。
そしてさらに国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使としての活動、難民の子を次々と養子にしてしまう実践、まさしくこの全力で生きる本人の言は偽りとはほど遠いことを感じさせます。それは常識的な生き方からの逸脱でもあります。

Mr.&Mrs. スミス
そしていよいよ私生活的にもアンジーのエポックメイキングとなるブラッド・ピットとの出会いの映画「Mr.&Mrs.スミス」(2005)ということになります。
結婚をシニックに見据えたこの作品が、もう結婚慣れもしていそうな彼女のさらなる結婚のスタートとなったのは如何にもアンジーらしい、これも逸脱曲球ではありましょうか。

いまやブランジェリーナという、夫妻を示す造語まで世界を席捲、押しも押されもせぬ輝きですが、もとより美人らしい美人とは言えず、一種の崩れから生まれるような魅力は、この女優の一貫した生き方の写し絵のようにも見えます。
だからこそ彼女の映画は作品さえ超えて、そこに巧まざる生命力と、ほとばしる血の逆流とでもいった力感がほの見えているのです。アンジーが出ているなら退屈はない、というその存在は、いま作品を超えてスターという魅力のエキスを示すのです。

<アンジェリーナ・ジョリー>Angelina Jolie(1975.6.4〜)フィルモグラフィ
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◆スザンヌ・プレシェット――これ以上ない、青春期における恋人の<至福>

ポートレイト2008.1.19が命日になってしまいました。1960年前後に青春を迎えていた方にとっては、まさに青春の、文字通りの死、とも思えたことでしょう。

スザンヌ・プレシェット、もはや知らない人の方が多いかもしれません。
それはまことにもったいないことなので、今回はいささか趣向を変えて、そのたぐいまれな青春の美貌を、ひたすらフィーチュアする、その趣旨のみでお送りしたいと思います。

青春期にこんな恋人がいたなら、青春期の苦悶も雲散霧消、世界も輝いて見えようかというほどの、青春のマドンナ、それがスザンヌ・プレシェットなのです。
その代表作はただ一つ「恋愛専科」('62)なのですが、本日現在、DVDがありません。ワーナー・ブラザースは何してる? というわけですが、ここで筆者が一肌脱ぎましょう、というわけで、スザンヌ美貌アンソロジーを組んでみました。

スザンヌ・タイトルこの映画のとき、彼女は完璧に主演スターであったにもかかわらず、タイトルは4人目、頭にイントロデューシングと付いています。

トロイ・ドナヒューロッサノ・ブラッツイアンジー・ディッキンソンに続いての4人目、あくまで新進女優ではあったのです。
それがしかし半世紀を経た今も、この作品を観て心躍るのは、スザンヌの魅力ともども映画の極めて健康な青春への視座があるからです。

プルーデンス・ベルローマを舞台にした作品としては「ローマの休日」('53)とともに並び称している筆者であります。
(原タイトルはローマ・アドヴェンチャー)

スザンヌが演じるヒロインはプルーデンス・ベルといいます。
旅情」('55)のロマンス・グレイ=ロッサノ・ブラッツイの口説に応えるこのセリフ、ですからその名前にゆかりがあるわけですね。プルーデンスの意味は慎み深さということのようですから、プルーデンス・ベルとは、慎み深い鐘、ということになるわけです。

この美貌この職人技の脚本を書いたのが監督も兼任するデルマー・デイヴィス、主題をヒロインの名前に潜めているわけです。

それもその筈、あの名作「邂逅(めぐりあい)」('39)「めぐり逢い」('59)でもレオ・マッケリーとの共同脚本に名を留めるキャリアの持ち主だからです。
つまり、おとなの馥郁たる恋愛をその2作で果たし、ここでは青春における恋愛<事始め>レッスンを描いたことになります。
それにしてもスザンヌの、この清潔感ある美貌は、この作品が青春のモニュメントとなった最大の理由とも言えるでしょう。

出会いそして、カップルを組むことになるトロイ・ドナヒューです。
この時すでにサンドラ・デイとの「避暑地の出来事」('59)ダイアン・マクベインとの「二十歳の火遊び」('61)で代表的な青春スターだったのです。両作ともデルマー・デイヴィスの作品ですから、まさしくトロイの育ての親であり、スザンヌを迎えることで、青春スターカップルの決定版を果たしたことになります。

馴れ初めふたりがその距離を徐々に縮めていくゆくたても自然でいいのですが、上記すべての青春映画にマックス・スタイナーが協力していることは見逃せません。

<アル・ディ・ラ>の印象的な使い方、<プルーデンスのテーマ>というべき主題曲も静かに響いて、観るたびにその美しい旋律に感銘してしまいます。ローマ観光案内の一面をとっても達者なものですし、その背景にこの音楽効果は絶大なものでした。

レストランふたりの恋愛の進行が音楽のみならず共に乗るスクーターやロープウェイ、さらには銀の燭台によって、青春の理想の恋愛として、いやがうえにも昇華されてゆくのです。

この銀の燭台、観た時の翻訳者によってドンの誠意のシルシの燭台であったりもしますが、一番最初に見た記憶では、ぼくらの純潔のシンボル、という扱いだったようにも記憶します。
そして、その言い方がプルーデンスへの贈りものとして、最もふさわしいもののようにも思います。

kusuguxtutai芒でプルーデンスの唇をくすぐる、ドンの振る舞いに、若き恋人たちはきっと同じことをやりたくなるだろう。

理想のカップルによる、理想の振る舞い、とでもいったところです。こんなじゃれ合いが意味なく楽しいのが、青春の証し、です。

まんじりともできぬ夜山小屋に泊まるとき、新婚カップルに見誤れることを、潔癖に嫌ったプルーデンスは、ほかに部屋がないと聞いて同室を納得するが、ドンはテラスで毛布をかぶることとなる。幸い、季節は夏である。

ひと晩、まんじりともしないプルーデンスの寝姿がまた魅力にあふれる。現代ではすぐベッドシーンとなるところだが、この抑制もまた良き哉、と感じさせるところが、この作品のハートだろう。

泣いてもこの美しさドンの元恋人リーダ(アンジー・ディッキンソン)が戻ることで、プルーデンスの惑溺に水が差されます。
その相手と対決するように乗り込んで、女としての役者の違いも悟り、うっすらと涙をにじませ席を立つプルーデンス。追いかけるドン。

こんな汚れなき娘を泣かしちゃいかんよ、と誰しもに感じさせるプルーデンスの涙です。
泣いても、やはり汚れなき美しさです。

お化粧中お化粧中のお茶目なスザンヌ・プレシェットです。
これらの写真を観るだけでも、どうでしょう、スザンヌのファンにいつのまにか染められてしまわないでしょうか。
青春のマドンナと呼ぶ理由がお判りいただけるかと思います。

プルーデンスとリーダプルーデンスとリーダの対決は現代ではさらに意味をもつでしょう。
何故なら、現代ではほとんどの女性がリーダになってしまったからです。アンジー・ディッキンソン・クラスの女性でこそ、リーダの生きざまも、理由も意味合いも出てくるのですが、全員がリーダになっては幸福になりようもありません。
プルーデンスの価値はますます高まるこの時代、なのです。

<スザンヌ・プレシェット>Suzanne Pleshette
(1937.1.31〜2008.1.19)
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◆シャーリーズ・セロン――しなやかな肢体に隠された翳ある<野性>

シャーリーズ・セロン「アクターズ・スタジオ・インタビュー」左はNHKBS2の名番組、アクターズ・スタジオ・インタビューの、シャーリーズ・セロン自らの、父親が母親に射殺(シャーリーズが暴行を受けた時の正当防衛として)された時の状況を語るシーン。
シャーリーズ・セロン、南アフリカ産。仏独混血。
初めて彼女を<発見>したのは「ディアボロス/悪魔の扉」('97)です。映画についてはリンクをご覧いただくとして、このシャーリーズ、その美貌にも魅かれましたが、映画において明るいシャーリーズから哀しみのシャーリーズの顔へ、激変するように変わっていく、ひと口で二度おいしいシャーリーズが、この作品は観れるわけです。

シャーリーズ・セロン「アクターズ・スタジオ・インタビュー」2そうです。これは美しいだけの女優ではないぞ!と予感を持ったわけです。
その後、注視する如く彼女の旧作新作を見てきました。ご承知のようにアカデミー主演女優賞も「モンスター」(2003)で受賞しました。しかしシャーリーズのいない、一種仮面のシャーリーズ映画とも言えるわけですから、翳に隠れたシャーリーズはあれ1回だけでよろしいかと思います。そういう作品をしかし一度は選択したシャーリーズに、激しく、芯の強い彼女の内面を垣間見ることはできるわけですけれども。

スタンドアップ」(2005)はまだしもでした。そこにはやはり表情の良く動くわがシャーリーズがいましたから。汚れ役には違いないですが、「モンスター」ほど<別人>になる必要はもうないのです。受賞後の、また賞狙いというような外野の意見もありましたが、作品としても、そんな甘っちょろい評判を蹴飛ばすものでしたし、見逃した方にはかえってお気の毒と申し上げたい出来です。

シャーリーズ百面相5受賞後、いちばん期待して観たのがトリコロールに燃えて(2004)でした。映画の重要なパートとも言っていい、<トライアングル・ラブ>を素材としているのと、久しぶりの美貌をそのまま楽しめそうだったからですが、前者の要因はいささかハズレ、後者の要因は堪能しました。
しかし、いまさらながらシャーリーズ・セロン、百面相ですね。

シャーリーズ百面相4女優だから誰しもその様相は在るわけですが、シャーリーズの場合、それが作品ごとにより顕著に現われる気がいたします。
「ディアボロス/悪魔の扉」もそうですし、こうなるとかえって「マイティ・ジョー」('98)や「スウィート・ノーベンバー」(2001)など、それが素のままのシャーリーズのように見えてくるから不思議なものです。

シャーリーズ百面相今という同時代に活躍し、これからさらに変貌していく可能性の高い女優ですから、目が離せません。
相手役もこの身長ですから、普通に立っていては全身ショットは見栄えで負けてしまいます。ハリウッドに移入してきた久々の逸材という眼で観ています。
幅広くいろんな役柄を料理できる素材でもあります。まさしくお楽しみはこれからだ!というところです。

<シャーリーズ・セロン>Charlize Theron(1975.8.7〜)フィルモグラフィ
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◆ジーナ・ロロブリジダ――大地に足を踏みしめた野性溢れる<肉体>

ジーナ・ロロブリジダロロちゃん!正しくはロッロちゃん!とひそかに呼んでいました。ジーナ・ロロブリジダは、もうその名前だけでイタリア的、その名前だけでもう色っぽい、ロロブリジーダと伸ばす記述より、わが心にフィットするのは舌の先をコロコロと転がるような、実はロッロブリジダなのです。

ジーナ・ロロブリジダの映画を見るときは、まさに彼女だけがお目当てでありました。初めて見た時から、すっかり魅了されたその作品はもうタイトルも定かではない少年時代の記憶で、今でもそこだけ忘れられない、その相手も記憶にない、彼女の長ーいキス、それこそ吸いついていつまでも離れない、長ーい長ーい彼女のキス・シーンでありました。

俺も<してみたい>と思ったかどうか……思ったのでしょう、長じてそのキスは、わがキス史の1ページめの幕開けでした。それから彼女の多くのキス・シーンを観てきました。中にはキスしながらよそ見をしていたりして、その大きく開かれた瞳の魅力にも気づかされました。その瞳には奔放な野性があったのです。

ジーナ・ロロブリジダ「さらば恋の日」まさしく彼女が出ていれば満足、その姿があればそれで良し、まこと見栄えのする容姿、肢体、見事な腰のくびれでありました。「パンと恋と夢」('53)「パンと恋と嫉妬」('54)など、ボロのワンピース一枚を身につけて、身を飾る装飾品ひとつ無いにもかかわらず、その肉体に吸いつくようなそのボロのワンピースだけで、存分に魅力を放っていました。まこと眼に毒にして滋養の「バンボーレ!」('65)の肉体でありました。

時代がかった作品も多かったのですが、「夜ごとの美女」('52)でも「花咲ける騎士道」('52)でもどこかでその薄布に包まれた曲線の魅力はいつも売りでありましたし、或いはその肉体美そのものを誇示するがごとき「空中ブランコ」('56)「ソロモンとシバの女王」('59)も、ジーナ・ロロブリジダでなければ作品の引力は氷解してしまったでしょう。
多くの美人女優が年下の男の恋のレッスンをしているわけですが、「さらば恋の日」('69)もそんな作品で、このとき女の美しき盛りは30代後半かもしれぬと、改めてのように思ったものでした。

ジーナ・ロロブリジダ「ノートルダムのせむし男」実に実にジーナ・ロロブリジダはかほどに魅力的、その魅力をどう映像に焼き付けるかという映画たちでありました。ですから作品として、演技者としての視点以上に、スターがスターであった時代の、そのスターを引き立てる作品たちであったのです。

アンソニー・クインのカジモドも適役でしたが、エスメラルダもまたロッロちゃんのために、そこにあった適役なのでした。
ノートルダムのせむし男」('56)がこれほどピタリとその役柄をスターに酷似させた作品もまれでしょう。ヴィクトル・ユゴーの原作の映画化はいくつもあるようですが、筆者にはこれが存分のエスメラルダでした。美と醜の、互いの際立つ引き立て役として、両者はまことに燦たるものでありました。
ボロは着てても心は錦、このエスメラルダは階層の底辺を突き抜ける太陽なのでした。

ジーナ・ロロブリジダ2ですから、ロッロちゃんの貴婦人は階層としての貴婦人に収まらず、その目つき胸つき腰つき唇つきが、貴婦人のお澄ましぶりを裏切り、あたかもその生命力が浮遊するがごとき案配で、文字通り屈指のはじけるダイナマイト・ボディなのでした。

その多くが、史劇やコスチュームプレイに属するのは、逆に見れば、現代の、いかにも疲弊した組織に従属する社会の構成要素としては、あきらかにロッロちゃんははみ出てしまうからではなかったでしょうか。
実際は夢の夢として、現代のそんな制約を突き破ってしまうような彼女の、今日への挑戦のような作品も見たい気がしますし、いやいや、そんな魅力を磨滅するようなところへ置きたくない気はもっとするわけなのですが……。

それにしても多くの作品があまり観ることができないのはいつもながら口惜しいのです。
映画スターという名称で残る映画スターの中でも、彼女の名はことに特筆大書きされてしかるべきと思うのですが、いかがでしょうか。
その生命性に裏打ちされた野性を、太陽の輝きで示し続けた肉体――<女の肉体は思想である>――その体現が彼女なのです!

<ジーナ・ロロブリジダ>Gina Lollobrigida(1927.7.4〜)フィルモグラフィ
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◆グレタ・ガルボ――硬質の美に彩られた截然たる<意志>

グレタ・ガルボディートリッヒと並び称される、しかしこちらは36歳で引退! 以後完黙の、いささかも浮つかないその硬質の美は、意外に静かな意志性に支えられていて、単なるアイドル・スターではない骨っぽさも見せるのはやはり歴史を超えた魅力の芯にそれが在るからだろう。

この意志性は、ディートリッヒとも共通する、人としての誇りにも満ちて、おそらく時代の苦難にも裏打ちされたメルクマールと言っても良いものだろうか。
とにかく美しさに凛としたものが寄り添う。生涯独身にして孤高を守り、ガルボという名は、チャップリンが命名したものと言う。

いまそんなに多くの作品を観ることができないのが残念だが、いまのところ「グランドホテル」('32)「クリスチナ女王」('33)「椿姫」('37)「ニノチカ」('39)の4作品と遭遇。それでもその存在の明確さはこのわずか4作品にも明らかに投影されていて、ことに「クリスチナ女王」と「ニノチカ」にはこの女優の真価がまぎれもなく輝いている。

グレタ・ガルボ「クリスチナ女王」クリスチナ女王」は、故国スウェーデンの17世紀に実在の女王に扮し、政治の世界よりも文化的なものにより知悉し、自ら退位してローマに過ごしたという女王だから、いかにもガルボに相応しく、そのガルボの輝きのためにこそある映画で、ガルボを知るためには見落とせない作品であることには、誰も異論がないだろう。

ニノチカ」は、ガルボが初めて笑うようなことで喧伝されたが、実際は「クリスチナ女王」で呵々大笑するシーンがあり、決して一度だけの笑いではないけれども、それほど、硬質な魅惑であったということのそれが証明でもあるだろうか。ロシアからパリに派遣される硬骨の共産主義者という役柄もそのガルボのキャラクターに即したものだったのだろう。

グレタ・ガルボ3フィルモグラフィを見ると、クラレンス・ブラウンの演出であることがもっとも多く、その意味でもこの2作、ルーベン・マムリアンとエルンスト・ルビッチが携わって、その魅力を集約、完成させていったようにも見えるのは、女優としての晩年の作品であることを既に知るからである。

左のイラストは「スタア」誌・昭和10年11月の表紙のグレタ・ガルボ。特徴をとらえた優れものと抜粋。右から左に流れる文字も時代色だが、絵もガルボも少しも古びないどころか、いまでも最先端の感じがするのは、やはり毅然たる背筋の通った意志性のせいかもしれない。
もう少し見ることのできる作品もありそうで、その意志性は、さらに神秘の彼方にさまよってはいるようだ。

堀口大學は、その意志性の神秘をこんな風に書いている。
――グレタ・ガルボの美しさは、不思議な美である。彼女は閉ざされた本の感じがする。その花芯を現はそうとしない、妖美な花である。彼女の考えていること、彼女の望んでいることが解らないように、人に眺められるのが新しい魅力をつくっている。彼女の眼は大洋の波を眺めている眼であり、果てしのないものの前に夢見ている眼である。


グレタ・ガルボ2北欧の神秘を仕立て上げられたかもしれないが、もはやその神秘は自立していき、それはモーリッツ・スティルレル監督がハリウッドに紹介したグレタ・ロヴィッチ・グスタフソンでは無くなっていったのである。

無声映画のスターがトーキーになる時、懸念されるのが声質であるが、そのハスキー・ボイスさえ「アンナ・クリスティ」('30)ではそのなまりのある強く低い声が、適役となったというから、やはりすべて造化の妙、奇跡の伝説が重なる女優なのである。

映画の創成期の巧みは、マレーネ・ディートリッヒと、グレタ・ガルボという、ふたりの圧倒的な<自立>の感性を持ったのである。
まさしく時代を駆け抜け、飛び抜けてしまうような、美しき洗練と、硬質の意志性とで、それは今もなおその名とともに在る!


<グレタ・ガルボ>Greta Garbo(1905.9.18〜1990.4.15)フィルモグラフィ
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●グレタ・ガルボの本●
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◆ダイアン・レイン――同時代を生き抜く苦難と共感の<同胞>

ダイアン・レイン最初にお断りすると、ダイアン・レインは誕生日が同じで水瓶座、いつしかクラスメイトのような感情を孕み、他人事でないシンパシイでその動向を覗き見てきた。
だから、その永き低迷期から中年にさしかかるところで、遂に再生したときはまことわがことのように嬉しかったものである。

ともあれ子役の美少女が大人の女として、それも女優として成果をあげるまでの道のりには、さまざまな要素が作用する。
6歳からの舞台経験、名を馳せたのは14歳のときの「リトル・ロマンス」('79)、その後ハイ・ティーン時代にはコッポラに重用され「ランブルフィッシュ」('83)「アウトサイダー」('83)「コットンクラブ」('84)と立て続けに出演、さらに日本では当たりを取り、名作の誉れも高い「ストリート・オブ・ファイヤー」('84)が、この時代を飾ったと見えたが、本国アメリカではことごとくこれらがコケ、それをきっかけに以後、低迷期を迎えることとなる。


ダイアン・レイン「ストリート・オブ・ファイヤー」ストリート・オブ・ファイヤー」のデリカシイがわからぬアメリカも大雑把、なんと雑駁な感覚と思うしかないが、筆者にとってはハイ・ティーン時代の掉尾を飾る、わが青春映画の古典とする名作、吹き替えとはいえ颯爽たる歌手姿の彼女はあくまで好もしく、20代を大いに期待したものであった。
ところがそのせっかくの20代は食い足りない凡作が相次ぎ、それは美少女から美人に成長したのを見るにとどまり、綺麗どころとしての主演に過ぎず、少しもドラマにダイアン・レインがその足跡を刻印したような作品はコレといってなかった。久しくこの「ストリート・オブ・ファイヤー」を繰り返し見たものである。

ダイアン・レイン「ストリート・オブ・ファイヤー」2やがて彼女の上にも幾星霜、「オーバー・ザ・ムーン」('99)も「パーフェクト・ストーム」(2000)も当然のように待望、これらが30代前半の模索期。
もうダイアンも37歳、いま彼女は何処にどうしてという「デブラ・ウィンガーを探して」(2002)というような作品にも出演しているのを見て、筆者も無聊を慰める羽目とはなっていたのである。

ところがついに決定打というべき演技者として惚れぼれする姿を見せてくれたのが、「運命の女」(2002)なのである。リンク先にも書いたが、この邦題は中身を現わさぬ最悪のタイトル。
ダイアン・レイン「運命の女」映画ファンなら運命の女とは、ファム・ファタル=魔性の女や悪女のこと。これはその類ではない。

原題は不安定、あるいは岐路、意訳すれば分水嶺ともいうべき内容で、生活にも愛情にも恵まれた安定期の主婦の浮気を、やむを得ぬ説得力で描き、しかもそれが悲劇への足音ともなっていく、見事な愛の名編。
まあ百歩譲って死を招き寄せてしまうその浮気相手の視点からすれば運命の女と言えなくはないが、それではこの主婦をヒロインとした意味が失われる。
アカデミー主演女優賞ノミネートのこの作品を冒涜するがごとき邦題である。
ダイアン・レインはターニング・ポイントでちょっとついていない気がする。
ことあるごとにラブ・ロマンスを見るならコレ、といささか苦いが、配給会社の不徳を詫びるが如く、絶賛のお奨めをしている。

うっすらと表情に刻まれる皺さえ愛しい莞爾たる名品こそ「運命の女」なのである。
よくぞ復活!というダイアン・レインが、ここにいる。


<ダイアン・レイン>Diane Lane(1965.1.22〜)フィルモグラフィ
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◆キム・ノヴァク――猫の神秘に相似する虹の如き<面影>

キム・ノヴァク最近になってようやくその最盛期の作品をほぼ見終えると、ますますキム・ノヴァクの印象は、いかにも現実でありながらなお現実を超える、猫の印象と相似することに気づく。
そして、ただのありきたりの美人とも違う、その独特の魅力は、類似の対象をほとんど見出せないほどである。

永らくキム・ノヴァクの代表作はヒッチコックの「めまい」('58)と信じ、それは変わらぬけれども、見逃していた「媚薬」('58)「逢うときはいつも他人」('60)を観るに及んで、さらにその特異な魅力を倍加させてしまうこととなる。

『現実でありながらなお現実を超える』「めまい」のヒロイン(素肌にセーターの究極の美!)こそ、その魅力を満開にした役柄でもあったわけだが、これほどロマンスというものが、必ず背景にサスペンスをたずさえて在るものだということを、いつも認識させてくれるヒロインもいない。
つまりは、退屈なラブ・ロマンスにはサスペンスが無い!ということだが、キム・ノヴァクはそのキャラクターの内に、既にサスペンスを孕んでいて、これほどメロドラマ造りに格好の映画女優も少ない。大当たりをした「ピクニック」('55)「愛情物語」('56)が、なによりそれをあきらかにしている。


キム・ノヴァク「媚薬」しかもそれを敷衍しながら、彼女を魔女にして、傍らに猫を配したことで、超絶技巧とも言うべき魅力を発散させてしまったのが「媚薬」なのである。


キム・ノヴァク「媚薬」2そうか!このミステリアスは猫が発散する魅力とどこかで通低するものだったかと、一挙に合点がいったのである。そこに居たと思ったら、もう居ない。いつのまにやら傍に寝そべっている。女性はもともと猫、女優はそもそも選りすぐりの猫という観点から言えば、キム・ノヴァクは、映画が生んだ最も美しい猫の変異と言えるだろう。
猫を知ればさらにより良くキム・ノヴァクも知れようというわけである。

キム・ノヴァク「媚薬」3それは虹の美しさにも共通する。触れることは出来ないがまぎれもなくそこに輝いている。おぼろげな面影にも似た美しさ――猫と、虹と、キム・ノヴァク。
(ただ虹と違うのは1点、雨上がりの明るいところに輝く虹ではなく、あくまでなぜか夜空に輝く虹、ネオン以上のきらめきで……。)

もうひとつ、忘れ難いのは、初老のフレドリック・マーチが魅き寄せられる「真夜中」('59)のキム・ノヴァク。初老の人間にとって恋愛はまさに虹のかげろう。そのかげろうにこれほどふさわしい女優もいなかろう。つかんだと思っても、もうそれは不確かな現実。虹のかげろうが如き。
なによりも、恋愛がサスペンスであることを知覚させる存在としてのヒロイン。
とすれば、なお多くのラブ・ロマンスがその旬の時期に欲しかった気もする……。


<キム・ノヴァク>Kim Novak(1933.2.13〜)フィルモグラフィ
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