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●ジェームズ・キャグニー――天使と悪魔の両極を演じきれる闊達!

ジェームズ・キャグニー
実はさほどジェームズ・キャグニーの映画を見ているわけではありません。しかし、観られる限り見て、この性格俳優というべきか、二枚目とは違う、独特の印象的な存在感は類を見ないもので、これほど機会を見て観る気にさせるスターは、そう多くはいないでしょう。

その代表的な作品と目される「汚れた顔の天使」(’38)は、そのタイトルもまた言いえて妙、その魅力を表わすが、結構小柄とも言えるその体躯が実に敏捷、きびきびと小気味の良いくらい、溌剌と画面を仕切リ続ける。

 汚れた顔の天使3


それがもう晩年、62歳時のビリー・ワイルダー作品「ワン・ツー・スリー/ラブハント大作戦」(’61)においても、少しも衰えを知らないそのキャラクターぶり、舌を巻くばかりである。一種他の追随を許さぬ境地、と言えるほど、その存在の明確さは、俳優業の範となるものかもしれない。


ワンツースリーラブハント作戦ジョン・フォードやロバート・ワイズ、ニコラス・レイ、ことに喜劇やギャング映画に欠かせぬ素材であったことはそのフィルモグラフィでも知れるが、小柄でありながらその機敏な動きは、なるほど大男の中に混じっても少しも遜色ない存在感を示し得ていただろうと想像するのもあながちハズレてはいないだろう。

 ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ  Gメン  汚れた顔の天使2 

民衆の敵なにしろ観る機会のきわめて少ない諸作ですから、キャグニーに関してはここに掲げたオリジナル・ポスターで偲ぶしかありません。
上左からミュージカル「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」(’42)「Gメン」(’35)、そして「汚れた顔の天使」(’41)ジーン・ハーロウとの「民衆の敵」(’31)となるわけです。それぞれクラシックな香りが余韻を持ちますよね。

ミュージカルを奇異に思われるかもしれませんが、もともとは巡業する舞台役者で、アクロバットやダンスの素養もあるひと、そのきびきびした動作も由縁あり=人に歴史あり、というところ。
もっと見たいジェームズ・キャグニーではあります。

<ジェームズ・キャグニー>James Cagney(1899/07/17〜1986/03/30)フィルモグラフィ 
★ジェームズ・キャグニー関連作品あれこれ★

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| 映画男優 | 11:00 | comments(8) | trackbacks(0) | pookmark |

●マルクス・ブラザーズ――天空を駆け抜ける稀代のボードビリアン!

マルクス兄弟マルキシズムはマルキシズムでも筆者はマルクス・ブラザーズ一辺倒!
この世に在るすべてを笑いで蹴飛ばすがごときアナーキズム!
近頃頻発するおえらいさんの不祥事など、ハナからマルクス・ブラザースにかかれば木端微塵!

――な〜に?木っ端役人なぞ、木端微塵じゃい!――てなぐあい!
写真左より長男チコ、三男グルーチョ、二男ハーポ、五男ゼッポ(四男ガモが最初に抜け、ゼッポは初期数作で脱退、残った3人が以後才気あふるるハーモニー)

マルクス兄弟「マルクスの二挺拳銃」もともとは舞台人であるが、その抱腹絶倒、ハチャメチャな生命力を映画界は放っておかなかった。英語堪能であるならその笑いの絶妙はさらにいや増すというし、舞台がこれまたほんとうの本領ともいうが、それでは少年時代3本立ての1本に「マルクスの二挺拳銃」('40)が混じることもなかったろう。
映画なればこそ今も繰り返されるマルクス・ブラザーズである。ナニ、字幕でも十分楽しめるし、その限界は、コレ、彼らの風貌が突き破ってしまうのことよ!

マルクス兄弟「マルクス捕物帖」この歴史的遺産は日本の喜劇人にも多くを残し、ドリフターズやコント55号は、その出自をマルクス・ブラザーズとする――そう解説してもいいほどである。
あの髭ダンスこそ、グルーチョがいなければ生まれたろうか。或いは欽ちゃんのいたぶりに応える二郎さんの、掛け合いのすこぶるアナーキーな風合い。

さほど歳も離れていないせいか、映画から伺うとグルーチョが長兄のように見え、ハーポが末っ子のようにも見えるのは、まさしくその芸風のせいのようではある。チコ・マルクスはおおよそ進行係のような役目を勤め無表情ながら結構強気な面も秘めている。、ハーポ・マルクスは一切しゃべらず、パントマイムがすっかりおとぼけ味、天然ボケのチリチリ頭のうえ、それこそ一切がっさい収納ポケットのコートを着ていることが多い。最も動きも激しくナンセンスでマシンガントークと呼ばれた毒舌がグルーチョ・マルクス、眼鏡と髭の持ち味のほか、グルーチョ・ウォークとでも呼べる独特の腰をかがめ滑るように歩く姿が特徴。


マルクス兄弟「二挺拳銃」「デパート騒動」なにしろ毎度定番のようにあるチコのピアノ、ハーポのハープ、その他あれこれ見ると楽器は各自ほかにもいろいろいじくるようで、グルーチョのハーモニカもあったし、それぞれがいい加減なものでなく至芸の域。

どの作品を観ればいいかというと、これがなかなか難しい。
それぞれの作品のお膳立ては背景としてのヴァラエティ以上ではなく、マルクス兄弟の会話はストーリーの成立の要素であるよりその感覚の特異さを際立たせることに留意され、彼ら以外の会話もまたギャグの呼び水に過ぎず、装置や小道具が異なったギャグを呼び寄せ、すべてその笑いはブラックでシュールであることに気づかされることこそが、作品を超えるテイストだからである。

「マルクス兄弟珍サーカス」しかしそれではあまりに不得要領のそしりを招きかねないだろうから、彼らの風貌の魅力とともに、これだけは見ていただきたいと思うのが、「我輩はカモである」('33)のなかでも白眉と言える名シーン、3人グルーチョのくだりだろう。
3人が3人ともグルーチョで、同じ画面に遭遇したりすれ違ったり、対面する相手もその言うことなすことで混乱を招く、しかもいよいよの傑作はグルーチョとグルーチョが鏡に向かいあうように対峙するところである。

こんなドラマとも独立して魅力溢れるシーンは、各作品随所にちりばめられているわけで、つぶさに点検して改めてその事典でも造らないといけないこととなってしまう。
それほどに、マルクス・ブラザーズ流儀、お話そっちのけのいたずらの天才だったのである。いささかハチャメチャ・ナンセンス、重ね塗りの出たとこ勝負でありながら、大団円に至る突き抜け方のテンポと呼吸こそまた逸品、と言えるのである。

<マルクス・ブラザーズ>
チコ・マルクス Chico Marx(1887.3.22〜1961.10.11)フィルモグラフィ
ハーポ・マルクス Harpo Marx(1888.11.23〜1964.9.28)フィルモグラフィ
グルーチョ・マルクス Groucho Marx(1890.10.2〜1977.8.19)フィルモグラフィ
●マルクス・ブラザーズのDVD作品一覧を観て見る!●
◆マルクス兄弟のおかしな世界◆
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| 映画男優 | 10:52 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

●ジャック・ニコルソン――なにごとにもたじろがぬ兄貴の天衣無縫!

ジャック・ニコルソン2ジャック・ニコルソン、今なお現役、「結婚適齢期」(2003)などというタイトルの作品に主演したのが66歳、そのキャリアは雄に半世紀を超えてきた70歳(2007現在)。

脚光を浴びた「イージーライダー」('69)や「ファイブ・イージー・ピーセス」('70)――そのときですらもう頭髪薄く、決して2枚目とはいえなかった。
その男がなぜにかくまで、生涯現役と呼べるような活躍を示し続けているのか、或る意味ではミステリアスではある。


ジャック・ニコルソン、その魅力はなんといっても存在感。
放っておいても漂う自己発現。忘れるわけにはいかないその堂々とした天衣無縫。
もともと「イージーライダー」でも「ファイブ・イージー・ピーセス」でも彼は頼れる"兄貴"として登場した。今でも頼れる"兄貴"である。

ジャック・ニコルソン「イージー★ライダー」その頼れる兄貴が、その環境を変え、年齢を加え、さまざまな職業を変転しながら、それを彼がどう対峙し、どう決断したのか、それこそがどの作品においてもジャック・ニコルソンの魅力であった。

まるでジャック・ニコルソンその人が、役柄を超えてタイム・スリップするように役柄を生きる、そのことと俳優としての本人とがオーヴァ・ラップしつつ、やはり、ジャック・ニコルソンには任せておける、その類まれな兄貴振りがどの作品にも落としだねのように揺曳している。


ジャック・ニコルソンが演じたその役柄は、ジャック・ニコルソンの世界の人物で、ニコルソンがどこかの人物に憑依したのではないかという演じ振りである。
それでは充分ではない。そこにはやはり頼れる兄貴が居て、しかしなにやら、悩み事や心配事や、人生において遭遇するさまざまなことが、その兄貴に押し寄せ、それと闘い、ふり払い、生還するさまが描かれる。

なあに兄貴のことだから所詮一時の迷い、見事にそこを脱却して、いつもの兄貴に戻るに違いない。と、どこか底のところで、ジャック・ニコルソンがなにかのカタチの勝利を獲得するに違いないとすら、観客は信じている。

ジャック・ニコルソンあの「カッコーの巣の上で」('75)ですら、そんなジャック・ニコルソンが生還し得ない事態――ロボトミー手術が施される対象が、精神的に極めて屈強なニコルソンだからこそ、起こりえないことが起こった、哀切も悲哀も怒りも、倍加して行ったのである。
あの「シャイニング」('80)ですら、狂気に取り込まれる要素が、最も少ないキャラクターだからこそ、なおかつ有り得ない事態の、不安感、恐怖感が増したのである。 

ニコルソンはいつも自家薬籠中の自らの庭で、ちょいと遊んでくるよ、とでもいった趣で、人生のあれこれを演じて見せるが、なあにきっと奴はそんな瑣末なことを乗り越えて還ってくるに違いない、そんな信頼をどこか底のところに観客は持たされてしまうのではないだろうか。

だから、作品を超えてそこにニコルソンがいたことが鮮やかに記憶される。
その逞しさというものはおそらく、映画が産んできたヒーローの中でもきわめて特異な、精神の領域に属するヒーローなのである。


<ジャック・ニコルソン>Jack Nicholson(1937.4.22〜)フィルモグラフィ
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| 映画男優 | 16:18 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

●ジェラール・フィリップ――生々しさのない男の稀有な清涼感!

ジェラール・フィリップ短い生涯でありながら、ジャンルを違えても――「肉体の悪魔」('47)、「パルムの僧院」('47)「夜ごとの美女」('52)「花咲ける騎士道」('52)であれ、「狂熱の孤独」('53)であれ「赤と黒」('54)奥様ご用心」('57)であれ、多彩のように見えて、ジェラール・フィリップはいつもジェラール・フィリップというスタイルで、独特の個性を演じた。

それは今ではどこにも探しきれない、或る独特の透明感、独特の清潔感にも彩られ、いわば男のロマンティシズムとでも名づければようやく落ち着きを得る性質の典雅な趣を持ったスターであった。
ともかく、風のようであった。

だいたいが周囲に女の香りのする役柄が多く、ベッドシーンもあれこれ、男女の絡みも多く演じているのに、それが少しも生々しさのない、ことさら他のシーンと違和感のない、そのままの連続であった。

赤と黒風がそのまま愛情を巻き込んで吹き過ぎる、そんな印象であった。
活劇では激しいアクションもあるのに、そこに汗の臭いはなかった。そのときも一陣の風、疾風さえが爽やかな心地よさに彩られていた。
存在に重さがないのに、共演するすべての女優に喰われてしまうという、そんな柔弱とも違う、どこか飄々としながら確固とした自身の夢想は手放していない、不思議な風の精であった。

ミシュリーヌ・プレール、ジーナ・ロロブリジダ、ダニエル・ダリュー、マリア・カザレス、マルチーヌ・キャロル、ミシェル・モルガン、アントネラ・ルアルディ、アヌーク・エーメ、ジャンヌ・モローetc. 短い生涯とは思えぬ共演女優の多彩、固定したコンビ女優の不在も、男性スターとしては特異で異例なスターだった。


その女優たちと役柄において恋愛関係にありながら、いささかも懸想している演技の気配がなかったのも思えば稀有な出来事であった。

ジェラール・フィリップの周囲に巻き起こるのは女性たちの思慕の流れであった。
そこには意識された行動や、意図された行為はなかった。
その存在自体のフェロモンというべきか、ジェラール・フィリップの映画は共通する<風のロマンティシズム>に充たされていた。女たちを魅き寄せるフェロモンにも満たされていた。

モンパルナスの灯イヴ・アレグレ、クロード・オータン・ララ、ルネ・クレール、ルネ・クレマン、ジュリアン・デュヴィヴィエ、マックス・オフュルス、ジャック・ベッケル、ルイス・ブニュエル、ロジェ・ヴァディム、etc. 映画作家がこぞって彼を使いたがったように見えるのは、
その、<風のロマンティシズム>の、多くの男に共通する夢想の、稀有な存在を知覚したからではなかろうか。

もっともミス・キャストに見える「危険な関係」('59)の企画さえも自然にこなして逝ったことも奇跡に見えてしまう。しかもモジリアニを演じた「モンパルナスの灯」('58)は死の前年、生涯を予兆したとでもいうべき作品で、ひたひたと近づいてくる死がその生涯を巻き込んでいくその姿がまさに重ね合わせて見られるほどヴィヴィッドな感覚の作品であった。


まさしく連れ去られるように<風のロマンティシズム>は、逝ったのである。

◎ジェラール・フィリップ補記――非現実の存在感から非現実の彼方へ!
<ジェラール・フィリップ>Gerard Philipe(1922.12.4〜1959.11.25)フィルモグラフィ
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●バート・ランカスター――剛毅と稚気に溢れた、野性の闊達!

バート・ランカスタールキノ・ヴィスコンティが「山猫」('63)で、その主人公である精力絶倫の貴族を誰に演じさせるかというとき、当時イタリアのトップスターで、女性のモテ方も尋常ではなかったマルチェロ・マストロヤンニを避けたのは、「汚れなき抱擁」('60)などでインポテンツの役を演じてしまったあとだったからだといわれる。

変わりに浮上したのは、役柄ばかりではなく極めて精力的に映画製作活動で世界の耳目を集め「エルマー・ガントリー」('60)でアカデミー主演男優賞も受賞したバート・ランカスターであった。

「山猫」の成功でさらにヴィスコンティは「家族の肖像」('74)でもふたたびの起用をするほど、バート・ランカスターは特異なスター・ヴァリューを持った役者であった。


バート・ランカスター「ヴェラクルス」2そのなにより特異なところというのはゲーリー・クーパーを招いて華を持たせ、そのバランスにおいて絶妙な存在感を見せた「ヴェラクルス」('54)であった。
そこで、この敵役をいかにも軽々と楽しげに、しかも華々しく演じたあと、バート・ランカスターの名前は明確に大きな歩を進めたのである。
クーパーとの最後の決闘シーンなど、まるで早撃ちに勝ち得たかのピストルをくるくるとホルスターに収めるワンショットがあり、倒れる寸前あの真っ白い歯を印象的にきらめかせ、駈け寄ったクーパーがピストルを調べると、弾丸が発射されていなかった、その証拠にクーパーはやや涙ぐんでいると、そんな伝説さえ生まれた西部劇史上のベスト決闘シーンではあった。


バート・ランカスター「ヴェラクルス」しかもこの映画はハロルド・ヘクト、ジェームズ・ヒルと組んだ独立プロ、ヘクト・ヒル・ランカスター・プロの作品で、翌年「マーティ」('55)でこのプロダクションは作品、監督、脚色、主演男優の部門でアカデミー賞を受け、カンヌ/パルムドールでその成果は頂点に達した。

バート・ランカスターというと、そんな映画人としての野心的な活動を抜きにして、そのレパートリーの広い俳優としての活動も視野にすることが出来ない。
まさにトップスターとして、1950年代〜80年代まで、その息の長い活躍と共にわが映画歴も齢を数えた勘定となる。


バート・ランカスター「成功の甘き香り」元々が得意のスポーツで鍛えた肉体の敏捷さが売り物の活劇からスタートしたけれども、アクロバット・チームを結成してサーカスの軽業師さえキャリアの中にあるわけだから「空中ぶらんこ」('56)すらかなりのお手の物だったかもしれない。

地上より永遠に」('53)におけるデボラ・カーとの海辺のラブ・シーンから「成功の甘き香り」('57)のいかにも特異なキャラクターのコラムニスト、或いは「終身犯」('61)における実話でもあった鳥博士の存在感まで、二枚目然としたスターとは対局の、まるで太い牛蒡のような風貌と意志を持って、バート・ランカスターはいつも剛毅な野性を撒き散らしていたものであった。

以後、ジャガイモのようなチャールズ・ブロンソン、かぼちゃのようなジーン・ハックマン、銀杏のようなスティーブ・マックィーン、――そうした二枚目然ではない主演スターの、バート・ランカスターは価値の変革の嚆矢と言える存在であった。

そこにはどこか、やんちゃ坊主時代の、いたずらッ気の稚気も匂う、男のア・プリオリな原像も含まれていて、単なる猥雑な野性とも一線を画していた。
その頂点が或る意味で「山猫」の精力絶倫の貴族であったのである。


<バート・ランカスター>Burt Lancaster(1913.11.2〜1994.10.20)フィルモグラフィ
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| 映画男優 | 08:43 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

●ポール・ニューマン――洗練の域にまで高められた反抗の軌跡!

ポール・ニューマンスタート時の容貌はマーロン・ブランドに酷似していて、いかついマーロン・ブランドの方が存在感に満ち、二番煎じと陰口も聞かれたが、その個性の違いは時とともに明確になり、ポール・ニューマン独特の世界をゆるぎなきものにして行った。
ことに青春のまるごとの憤懣を体現するような役柄では、類を見ない境地で、'60年代の青春の映像を語るに、その英姿を忘れて語ることは出来ない。

ことに「ハスラー」('61)や「ハッド」('62)、「暴力脱獄」('67)などの若いエネルギーの噴出を、自らも抑えきれぬほどの、或る種の粗暴を演じさせると、おおいに共感を覚えさせた俳優で、その煮えたぎる青春の奔流に、故知れぬ世界への怒りや、理屈を超えたNO!を体現する存在として、あきらかな新時代の息吹を感じさせた。


ポール・ニューマン「ハスラー」その時代の息吹を体現するかの存在は「明日に向って撃て!」('69)において頂点を迎える。ポール・ニューマンはそこでまぎれもなく「傷だらけの栄光」('56)や「左ききの拳銃」('58)などの青春の奔流にまみれながら、まだ定かに形を成さなかったものを、卒然と顕現させたと言ってよかった。

男というものの表現において、荒っぽさであったり、働くプロフェッショナルであったり、女との対比としての性ではない、デリカシイでセンシブルな男の形象に具現化した性を演じ続けた。

それはポール・ニューマンの多くの映画で見え隠れしながらもそれと言い切れないかげろうのような、ソフィスティケイトされた、或る優しさと、或る柔らかさと、或るはにかみさえ含んだ男の形象であった。


ポール・ニューマン「明日に向かって撃て!」そんなポール・ニューマンの到達に、バート・バカラックの『雨に濡れても』は、なんと風雅な伴奏であっただろう。キャサリン・ロスを前に乗せてふたり乗りで走る自転車が、かほどに軽やかな時代の息吹を現して、浮かぶように駆け走る叙情――。

時は過ぎ時は移り、「ロード・トゥ・パーディション」(2002)においてはギャングの重鎮、息子もまたその威圧におののくという役柄としては悪役、青春は遠く去り、ギャングとはいえ地位と権力を携え、反逆を握りつぶす側に厳然と存在感を示した。

これはまさに主役でなく脇役であったからこそ在り得た役者としてのキャリアのもたらしたもので、同時にそれはポール・ニューマンの時代に果たしてきた役割の卒業をはっきりと指し示したものであった。


先頃遂に引退を表明し、その第一線を引いたけれども、かくも永き間のソフィスティケイトされた男の反抗の軌跡は、その底にいつも青春の息吹を潜めて、軽やかな口笛さえ聴こえてきそうな爽風にも似ていた。但し、そこにも反骨と反逆を携えて……。

<ポール・ニューマン>Paul Newman(1925.01.26〜2008.09.26フィルモグラフィ
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| 映画男優 | 22:13 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |

●ヘンリー・フォンダ――莞爾たる自恃に彩られた男の肖像

ヘンリー・フォンダ「荒野の決闘」2「アープ、ワイアット・アープ」
そう名乗った時、ヘンリー・フォンダのワイアット・アープは、映画史上比類のないアープ像を刻んだ。

その後、数多くのワイアット・アープを役柄として演じたスターは多いが、ヘンリー・フォンダが刻んだアープ像ほどオリジナリティに溢れたものはなかった。今後もこのアープを超えることは至難であるだろう。

それは奇抜でも派手やかでもなかったが、なにより自然だった。
そこにアープが生きる宇宙があり、そこにアープは生活していた。
髭を剃り、陽射しを浴び、カードを切り、シェイクスピアを語り、ダンスに興じるワイアット・アープ。

「荒野の決闘」決闘もまた、そんな生活を守るための延長の行為にしか過ぎない、そんなアープ像。
西部劇でありながら、活劇のイメエジをはるかに超え、しかも手垢にまみれていない生活の詩。

早暁のすがすがしさをたずさえたガンマン、「私はクレメンタインという名前が好きです」
そう静かに語り、静かな未来に歩を進める、贅肉のないヘンリー・フォンダのアープ像。

この奇跡のような映画が「荒野の決闘」('46)として著名な「MY DARLING CLEMENTINE」であった。

これが同じフォード一家のジョン・ウェインではこうはいかなかっただろう。
動のジョン・ウェイン。静のヘンリー・フォンダ。
その<静>の極北とでもいえる成果が「荒野の決闘」であった。


若き日のリンカーン」('39)があった。「怒りの葡萄」('40)があった。「ミスタア・ロバーツ」('55)があった。そして「十二人の怒れる男」('57)があった。

ヘンリイ・フォンダ「荒野の決闘」そこにはいつも冷静で、胆力のある、静かなたたずまいの端正な男の肖像があった。
それはあのエレガンス・ウォークと讃えられた、踊るようなステップに感じられる軽やかな歩行と共に、いかにも自然に、泰然と届けられた。――在るか無きかの寡黙な微笑と共に。

ヘンリー・フォンダが演じた多くの男の行為は、それがその形に収まることに、何の無理もなかった。最初から決められた構図のように、収まるべきところに収まる静かな摂理があった。

何も主張せず、何も語らない、それでいてしっかり自らの持ち場を果たしている、思えばある種理念としては以前からあった、その具象、と言えた見事な男の肖像であった。

<ヘンリー・フォンダ>Henry Fonda(1905.05.16〜1982.08.12)フィルモグラフィ
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●クラーク・ゲーブル――<キング・オブ・ハリウッド>と呼称された男!

クラーク・ゲーブルものごころのつく頃には既に、キング・ゲーブルと呼ばれていて、その名前は大きく、原題 THE KING AND FOUR QUEEN('56)と名づけられるほど、映画の内容と関係なく、クラーク・ゲーブルはキングだった。

因みに邦題は「ながれ者」で、原題から想像できるのはコスチューム・プレイだが、映画は西部劇であった。なんのことはないキング・ゲーブルの映画ですよと、タイトルそのものが≪キング・オブ・ハリウッド≫を標榜していた。


3本立名画座で、相手役がジーン・ハーロウだったか、マーナ・ロイだったか、バーバラ・スタンウィックだったか、はたまたキャロル・ロンバードだったかいまやタイトルも覚えていないゲーブル映画をいくつか見た記憶があるが、ほとんど霧の彼方である。

クラーク・ゲーブル「風と共に去りぬ」やはり決定的だったのは、原作を読み、レット・バトラーが、スカーレットとの娘を愛玩するがごとく猫可愛がりする印象の記述と、その娘の落馬による死、その周辺を強く印象に残し、その読後にちょうどリバイバルされた「風と共に去りぬ」を見たからである。

マーガレット・ミッチェルがゲーブルをモデルとして書いたレット・バトラーが、そこで颯爽と生きて、生身で動いて、これ以上のレット・バトラーは在り得ない、というほどのものであったからである。


クラーク・ゲーブル「風と共に去りぬ」2しかし「風と共に去りぬ」('39)という映画は幸福な作品で、レット・バトラーだけではなく、スカーレット・オハラのヴィヴィアン・リーもまたいずれ劣らぬ適役で、空前絶後ともいえるキャスティングで、いつ見ても古さを感じさせない。
このいままで、リメイクがないのはまことに賢明――自滅行為なしである。

ゲーブルはしかし、スカーレット・オハラのヴィヴィアン・リーほどにはその役柄=レット・バトラーに侵食されることはなかった。
もとよりゲーブルがモデルであったのだから、或る意味でそれは当然で、それは当たり役であったには違いないが、レット・バトラーがゲーブルに憑依したのではなく、ゲーブルがレット・バトラーに憑依したのだから、そのレット・バトラーは他の数々の映画作品に以後、痕跡を残すこととなる。


遺作の「荒馬と女」('61)まで、それは変わらなかった。いかにも男臭い、荒々しさを秘めた、豪放磊落な――男の概念の中でもとりわけ<野性>に属する部分のすべてが、その挙手挙動に投影された。

クラーク・ゲーブル「妻と女秘書」そのすべてを呑んでかかるかの、男気がしかし、傲慢不遜に少しも結びつかず、むしろ男の色気として定着したのは、「或る夜の出来事」('34)や「妻と女秘書」('36)「モガンボ」('53)「先生のお気に入り」('58)などに見られる茶目っ気にも溢れた、コメディ・センスのしからしむるところでもあった。

≪キング・オブ・ハリウッド≫は或る意味で≪キング・オブ・マン≫男の中の男としての呼称でもあったのである。

<クラーク・ゲーブル>Clark Gable(1901.2.1〜1960.11.16)フィルモグラフィ
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