◆映画スター!ドットコム. 2021-01-15T02:33:35+09:00 映画と言えばスター! スターと言えば映画スター! この感覚はクラシックフィルムに遡れば上るほど、確かな定理です。さあ、映画スターの宇宙へ! JUGEM ◆ヴィヴィアン・リー ――勝気と哀しみが表裏一体の<典雅> http://actor-actress.jugem.jp/?eid=49 2009-06-28T10:39:00+09:00 2009-06-28T03:42:14Z 2009-06-28T01:39:00Z スカーレット・オハラの役を射止めたことが人生を支配したヴィヴィアン・リー。女優としても実人生さえもスカーレットが大きくその生を覆う、美しくかつ哀しい、その作品とその存在!その晩年を跡付けるかの「ローマの哀愁」(’61)を観るとなおその名声と同時に悲惨も感... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 映画女優 スカーレット・オハラの役を射止めたことが人生を支配したヴィヴィアン・リー 。 女優としても実人生さえもスカーレットが大きくその生を覆う、美しくかつ哀しい、その作品とその存在! その晩年を跡付けるかの「ローマの哀愁 」(’61)を観るとなおその名声と同時に悲惨も感じて余り在る。 人生のミステリーはヴィヴィアンの一種神経症的なその生涯を覆って女優としての光背を帯びる。 確かに「風と共に去りぬ 」(’39)は、もはやリメイクを許さない完膚なきまでの完成度のキャスティング、それはスカーレットのみならず原作者マーガレット・ミッチェル自身がクラーク・ゲーブルを想定して書いたといわれるレット・バトラーにも、如実にその成果を示した。完璧なスカーレットと、完全なレット・バトラー、夢は現実化して、いま幾度でも再見できる、この至福! しかし、これほどの代表作にまみえるだけのもう1本の名品が、ヴィヴィアン・リーにはある。 「哀愁 」(’40)である。 そこにはスカーレットの、勝ち気に彩られたヴィヴィアンとはまさに表裏の、不安とわずかな希望に打ち震えるヴィヴィアンが燦として後光が射すように居る。 これが「風」と表裏であるのはそのモノクロームの映像にもさらに明晰で、戦時の暗黒の時代の中でさらに孤立し、貶められて行く運命の刻印はあまりにも哀切ではあった。 恋愛映画至上の名品と言って間違いの無き、哀しくも甘美な、この時間芸術の至純である。 当時世界一の美女としての誉れを「美女ありき 」(’40)が示し、ウロンスキーに踏み迷う「アンナ・カレーニナ 」(’48)のよろめきもあった。そして、遂にスカーレットだけではない女優としての刻印を「欲望という名の電車 」(’51)の、狂気のブランチ・デュボワで女優人生を全うしたヴィヴィアン。その典雅にして哀愁にみちた一生。 「風」のあと、すぐローレンス・オリヴィエとの結婚、そして’60年の離婚、もはや精神のバランスさえ失ったかの、その後のある種の迷走。出演作品はその名声からすれば少ないにもかかわらず、見事に代表作も散りばめた、やはり女優としか考えられないその生涯。 女優としてこそがその実人生であった稀有な女優、それが美しくも哀しいヴィヴィアンの、さらなる誉れであるだろう。<ヴィヴィアン・リー>Vivien Leigh(1913/11/5〜1967/7/7)フィルモグラフィ ★ヴィヴィアン・リー関連作品あれこれ★ Copyright (C) 2009 Ryo Izaki,All rights reserved. JUGEMテーマ:映画 ]]>●ジェームズ・キャグニー――天使と悪魔の両極を演じきれる闊達! http://actor-actress.jugem.jp/?eid=48 2009-04-23T11:00:00+09:00 2009-04-23T04:17:49Z 2009-04-23T02:00:00Z 実はさほどジェームズ・キャグニーの映画を見ているわけではありません。しかし、観られる限り見て、この性格俳優というべきか、二枚目とは違う、独特の印象的な存在感は類を見ないもので、これほど機会を見て観る気にさせるスターは、そう多くはいないでしょう。その代表... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 映画男優 実はさほどジェームズ・キャグニーの映画を見ているわけではありません。しかし、観られる限り見て、この性格俳優というべきか、二枚目とは違う、独特の印象的な存在感は類を見ないもので、これほど機会を見て観る気にさせるスターは、そう多くはいないでしょう。 その代表的な作品と目される「汚れた顔の天使 」(’38)は、そのタイトルもまた言いえて妙、その魅力を表わすが、結構小柄とも言えるその体躯が実に敏捷、きびきびと小気味の良いくらい、溌剌と画面を仕切リ続ける。 それがもう晩年、62歳時のビリー・ワイルダー作品「ワン・ツー・スリー/ラブハント大作戦 」(’61)においても、少しも衰えを知らないそのキャラクターぶり、舌を巻くばかりである。一種他の追随を許さぬ境地、と言えるほど、その存在の明確さは、俳優業の範となるものかもしれない。 ジョン・フォードやロバート・ワイズ、ニコラス・レイ、ことに喜劇やギャング映画に欠かせぬ素材であったことはそのフィルモグラフィでも知れるが、小柄でありながらその機敏な動きは、なるほど大男の中に混じっても少しも遜色ない存在感を示し得ていただろうと想像するのもあながちハズレてはいないだろう。 なにしろ観る機会のきわめて少ない諸作ですから、キャグニーに関してはここに掲げたオリジナル・ポスターで偲ぶしかありません。 上左からミュージカル「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ 」(’42)「Gメン 」(’35)、そして「汚れた顔の天使 」(’41)ジーン・ハーロウとの「民衆の敵 」(’31)となるわけです。それぞれクラシックな香りが余韻を持ちますよね。 ミュージカルを奇異に思われるかもしれませんが、もともとは巡業する舞台役者で、アクロバットやダンスの素養もあるひと、そのきびきびした動作も由縁あり=人に歴史あり、というところ。 もっと見たいジェームズ・キャグニーではあります。 <ジェームズ・キャグニー>James Cagney(1899/07/17〜1986/03/30) フィルモグラフィ ★ジェームズ・キャグニー関連作品あれこれ★ Copyright (C) 2009 Ryo Izaki,All rights reserved. ]]>◆ナタリー・ポートマン――天は二物も三物も与えたもう http://actor-actress.jugem.jp/?eid=47 2009-03-09T12:30:00+09:00 2009-03-09T05:46:50Z 2009-03-09T03:30:00Z いま若手映画女優で最も注目にして愛でたきひとは、このナタリー・ポートマン!「クローサー」(2004)でまさかのマサカ、あの「レオン」(’94)の13歳の10年後、目を見張る肢体と演技力でストリッパー役も見事にこなしているではないか。しかもしかも、ここではジュリア... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine いま若手映画女優で最も注目にして愛でたきひとは、このナタリー・ポートマン ! 「クローサー 」(2004)でまさかのマサカ、あの「レオン 」(’94)の13歳の10年後、目を見張る肢体と演技力でストリッパー役も見事にこなしているではないか。 しかもしかも、ここではジュリア・ロバーツ、クライブ・オーエン、ジュード・ロウといったベテラン勢にいかなる遜色もなく、丁々発止、堂々としてしかもセンシブル、可愛い上に大人のテイストさえほの見せて、たちまちぞっこん注目株に浮上、以後見るたび惚れぼれがナタリー! そしてさらに彼女の限りなく実像を見るべくアクターズ・スタジオ・インタビュー を見ましたね。これがもう群を抜く受け答え、利発さにあざとさがない上、まこと自然体の魅惑。もはやゆるぎなき信頼へとくさびを打ち込まれましたね。 「レオン」のあの少女が、今やこんなに含蓄に富んだことばを発し、一挙手一投足の表情やしぐさも美しく輝く、見事な女性になっているんですね。繰り返しますが、利発さが頭に抜けるんではなしに心に届くような発言で終始していたのに唸らされました。……ということなんですね。 その後、スキン・ヘッドで溌溂の「Vフォー・ヴェンデッタ 」(2005)もあれば、2008年にはウォン・カーウァイ「マイ・ブルーベリー・ナイツ 」があり、スカーレット・ヨハンソンとの競演の「ブーリン家の姉妹 」がありました。なんたる逸材でしょう。まだ20代、ハーバード心理学専攻。 昨年は確かカンヌで審査委員長を務めたとも耳にしています。名実ともに花の中の華たる存在でまぶしきほどなんですが、そんな時にはまるで女子大生の趣であったアクターズ・スタジオ・インタビューを再見して、身近さを引き寄せては居るというところなのです。 その自然体ということばに代表される彼女の演技の実質も、これまたまこと無理なきこしらえ過ぎないほど良さが見るたびにぞっこん、次回作を待たれる仕儀とはなっている今日なのですね。 「スターウォーズ エピソード1,2,3 」(’99,2002,2005)で王女を演じたわけですが、アン・ブーリンも王女でしたし、その気品こそ王女にふさわしいのですが、「終りで始まりの4日間 」(2004)のような、どこにもいる若者風でもちゃーんと通用するところが、さらに彼女の芸域と言ってもいい幅の広さです。 いったい、その30代には彼女をヒロインにしたどんな恋愛絵巻が見れることだろうかと、すっかり、お楽しみはむしろこれからに違いないと、瞠目が切れない対象ではあるのです。 ご存じないなんて方は少ないかとは思いますが、「レオン」もその片鱗を味わうに充分にしても、それだけしか知らないのではもったいない。そのフィルモグラフィを括目して拾っていただきたいものではあります。<ナタリー・ポートマン>Natalie Portman(1981.6.9〜) フィルモグラフィ ★ナタリー・ポートマン関連作品あれこれ★ Copyright (C) 2009 Ryo Izaki,All rights reserved. ]]>◎1本だけで永遠のヒロインとなった女優たち<キャシーとジェーン> http://actor-actress.jugem.jp/?eid=46 2009-02-12T13:10:00+09:00 2009-02-13T08:11:05Z 2009-02-12T04:10:00Z 「荒野の決闘」(’46)=いとしのクレメンタインの、クレメンタイン役を演じた女優さん、名前知っています?たぶん、すぐには出てこないことでしょう。さらに他の出演作品は?と聞かれれば、ますますわからない。あの楚々とした(こんな表現が似合う女性も少なくなりました... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 間奏曲 「荒野の決闘 」(’46)=いとしのクレメンタインの、クレメンタイン役を演じた女優さん、名前知っています?たぶん、すぐには出てこないことでしょう。さらに他の出演作品は?と聞かれれば、ますますわからない。 あの楚々とした(こんな表現が似合う女性も少なくなりました)風情の、寡黙で気品の香り立つクレメンタイン、ヘンリー・フォンダのワイアット・アープが告白ともとれる「私はクレメンタインという名前が好きです」――そう言わしめた女性、もともと「荒野の決闘」は邦題、原タイトルは「いとしのクレメンタイン」なのです。 この作品で、クレメンタインは永遠です。 そう、クレメンタインを演じたキャシー・ダウンズ も、永遠なのです。 西部劇の古典であるとともに、ヴァンプとしてのリンダ・ダーネルとの対比においても、究極の男が希求する女性の原像として見事な女性像といえます。 西部を舞台とした抒情詩とも言えるこの作品とともにキャシー・ダウンズは忘れられぬヒロインとなったのです。 (Cathy Downs 生年は’24年、以後B級作品の出演歴はいささかあれど生没不明) たった1本の作品が、他のいっさいの女優活動を埋没させて永遠、そんな女優は意外に居るものです。 「風と共に去りぬ」のスカーレットでもあったヴィヴィアン・リーや、「ローマの休日」の王女でもあったオードリー・ヘプバーンは、これとは違います。他にも観るべきいくつもの作品があります。 ここで取り上げたいのはその作品の光芒のごとく、そのきらめきとともに消え去ったかに見える、その役柄とともに永遠となった女優さんたちです。しかし役柄は鮮明でもその女優さんの名前は明確でないことも多い、その名前をクロース・アップしておきましょう、というわけです。 ふたりめは、ジェーン・シーモア 。知る人ぞ知るラブ・ストーリーの名品「ある日どこかで 」(’80)の、輝くばかりに美しいヒロインですね。彼女の場合はキャシー・ダウンズにくらべればその後もTVMの名花として活躍もしていたようですが、アメリカでのお話、日本ではほぼこの作品をもってその名を刻印していると言って差し支えないでしょう。 映画そのものが映画ファンが映画女優に恋する、その飛翔する想いをとらえた、と裏目読みもできる内容です。 その対象として、これ以上はないほどの存在のきらめきでこれまた忘れがたい印象を留めます。 女優冥利といってもいい役どころですが、存分にそのキャスティングにこたえた存在感です。 映画そのものが奇跡のように存在しています。 舞台となったロケ地の島にあるホテルの庭に今ではこの作品の記念の石碑があるようです。公開当初は、批評家に散々な酷評でスタートしながら、徐々にその価値をファンが全世界的に押し上げてゆき、そのホテルでの映画をめぐるイベントが開かれたのも一再ではない、ようです。 理詰めではいくらでも酷評もできるでしょう。 しかし映画が夢の素材である限り、この作品とジェーンはやはり永遠なのです。 ご本人も映画では一番思い出深い作品、とスタッフ・キャストの熱意が低予算をものともせず、ジェーンと親しかったジョン・バリーまで捲きこんだ一種僥倖の奇跡もあります。ラフマニノフのラプソディが、いつまでもこだまするのは筆者だけではないでしょう。 (Jane Seymour 1951/02/15〜 英) 3人めは、これも知る人ぞ知る名前です。映画にはすぐれて凄まじい悪女映画というものがありますが、そのアンソロジーでも組めば加えたい作品「過去を逃れて 」(’47)のジェーン・グリア です。 リメイクも幾度かされているようですが、似て非なるもの、このジェーンのオリジナルがやはり一番というわけです。 一見は、誰もがはまりそうな美人、しかしはまればはまるほどの蟻地獄、蜘蛛の糸、はまってみて初めて気づく悪女を演じて、この名を知るわけです。 演技力で悪女というより、その仕掛けぶりが悪女と、これもあとで気づかされるわけですから、そのなに食わぬ美人ぶりがますます冴えわたる、という仕掛け。ロバート・ミッチャムみたいに眠そうだと余計いつのまにか、その術中ということになります。 彼女もまた見るべき多くの作品があるわけではありません。しかし、こうして突如のように作品に恵まれ、役柄に寄与して、映画史の一翼を担う作品に遭遇すること自体が、映画女優のミステリアスとも言えます。それにこうしてキャシーとふたりのジェーンを記憶の片隅に置いておくだけで、豊かな映画の旅の記念碑がさらに道標のようにその光を点滅させてくれるのです。 (Jane Greer 1924/09/09〜2001/08/24 米) JUGEMテーマ:映画 ]]>◆オードリー・ヘプバーン――目の前をしっかり見つめて行為した軽やかな http://actor-actress.jugem.jp/?eid=45 2009-01-15T18:09:00+09:00 2009-01-16T02:29:19Z 2009-01-15T09:09:00Z 男性よりも女性に多くファンを持つと思われるオードリー・ヘプバーン。そのファッションと、ずっとスリムであり続けたその体型が同性の目標だったのかもしれない。しかし、男からすれば、いささかノン・セックス、若き頃はより豊満でより女の色香に迷うものでもあるから、... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 映画女優 男性よりも女性に多くファンを持つと思われるオードリー・ヘプバーン 。 そのファッションと、ずっとスリムであり続けたその体型が同性の目標だったのかもしれない。 しかし、男からすれば、いささかノン・セックス、若き頃はより豊満でより女の色香に迷うものでもあるから、せいぜい「ローマの休日 」(’53)や「昼下がりの情事 」(’57)「許されざる者 」(’59)「噂の二人 」(’61)「マイ・フェア・レディ 」(’64)といったところくらいしか見ていなかった。 見ていなかったといってもやはり代表作というべき「ローマの休日」「マイ・フェア・レディ」は落とさなかったのも、その大スターの人気のほどはよく知っていたからで、なあるほど、というくらいのところではあった。 だがこの一両年、見落としていた「尼僧物語 」(’59)「ティファニーで朝食を 」(’61)「シャレード 」(’63)「おしゃれ泥棒 」(’66)「暗くなるまで待って 」(’67)というところを観、結婚にはあまり恵まれず、晩年を国連大使として過ごした一女性の、生涯を知れば知るほど、ますますこのたぐいまれな存在の人間像が少しまた少し見えてきて、新たなイメエジを紡ぎあげたのである。 まずはバレエを学んだことで「ジジ 」の主役を射止めるという幸運も、彼女がその原作者コレットと出会うという偶然に発しながらの抜擢、その舞台を観たウィリアム・ワイラーがたちまち「ローマの休日」のヒロインに抜擢というのも、その一面識で魅了させる何かがあったわけだろうし、事実その共演者であるグレゴリー・ペックはそのとき既に大スターであって、晩年のペックの回顧ではタイトル前の名前は当初ペックだけという流れを「それでは僕がトンマに見えるよ」と、オードリーの名前もタイトル前に入れさせる異例の扱いをさせたのだという。 と、撮影前、撮影時からこの、人に感じせるオードリーの魅力というのはただ事ではない。 ウィリアム・ワイラーが主役級の女優を重ねて出演させることはむしろまれで、目立つのはベティ・デイヴィスと、オードリーくらいしかいないのである。「ローマの休日」以外は「噂の二人」と「おしゃれ泥棒」がその作品であるが、存分の成功は「ローマの休日」に譲るとしても、この巨匠の重なる起用こそにオードリーの価値もしのばれる。 その少ないチャンスを見事に生かしていくオードリーの作品を観てくると、成るべくして成ったスターへの道がその出演作「尼僧物語」の尼僧の、真剣な煩悶にも似て、なにごとにも心に深く投影させていた女優業であり、結婚であり離婚であり、国連大使としてのありようであったことがよく伝わってくる。 優雅でファッショナブルな貴族性とともに、柄にもない下町娘を演じた「マイ・フェア・レディ」が、またなによりその人間としての幅を覚えさせるのも、こうして生涯を展望できるからこそなのかもしれぬが……。<オードリー・ヘプバーン>Audrey Hepburn(1929.5.4〜1993.1.20) フィルモグラフィ ★オードリー・へプバーン関連作品あれこれ★ Copyright (C) 2009 Ryo Izaki,All rights reserved. JUGEMテーマ:映画 ]]>◆吉永小百合――限りなく日本の故郷に近い<永遠> http://actor-actress.jugem.jp/?eid=44 2008-12-18T12:32:00+09:00 2008-12-18T19:41:47Z 2008-12-18T03:32:00Z 残念なことに、吉永小百合の時代はもう終わったと、最近の映画作品を見てつくづく思う。造り手に人材を得ない部分もあるが、より以上、もう時代が吉永小百合の身に沿うようなものではなくなった、ということである。もっと下世話に言えば、吉永小百合が担ってきた貧乏や孤... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 映画女優 残念なことに、吉永小百合 の時代はもう終わったと、最近の映画作品を見てつくづく思う。 造り手に人材を得ない部分もあるが、より以上、もう時代が吉永小百合の身に沿うようなものではなくなった、ということである。もっと下世話に言えば、吉永小百合が担ってきた貧乏や孤独や哀切の想い、ひたむきさ、彼方を遠望するような理想の虹すらも滅んだ、ということである。 かつて吉永小百合は、少女が持ち得ていた<健気><ひたむき><汚れなさ>などの、多くの男が女に対して抱くア・プリオリな憧れの次元で、忘れ難い要素に満ち充ちていた。 吉永小百合は、ある世代には一種<神聖不可侵>の象徴でもあったが、ことのそれは日本が経済成長を遂げる前に過ごした青春を知る者に、彼女は貧苦の内の<星>であった。 当時彼女の出演いた映画の多くは、京浜工業地帯を舞台とする、定時制高校や工員・女工の青春を描いた作品であった。そこで吉永小百合は、恵まれない仲間を激励し、トラブルを収拾し、勇気と信頼の輪を広げるヒロインを、いつも健やかな微笑みと、彼方を遠望するようなまなざしで演じ続けた。 一般的には初期の代表作として「キューポラのある街 」('62)があるが、さらに「ガラスの中の少女 」('60)、「泥だらけの純情 」('63)なども忘れがたい印象を残す。 当時の吉永小百合は、まさに四囲が真っ暗闇にも見える挫折と苦衷にあるものにとって、一条の光源を灯す存在であり、筆者など「おふくろの味 」というビートルズ<ヘイ・ジュード>を主題曲とするTVドラマなどもそうしたわが時代における道標だったような気がする。 多分、吉永小百合の芸域は広いものではない。 けれども逆境を寡黙に絶え、ひっそりと一途な想いを育て、絶望や諦観に流されない強さを持った、いわば日本の古典的女性を演じて随一、しかもそうした女性像はある意味で滅びつつある文化的伝統のひとつでもあったから、極めて希少な輝きを時代に照らしてきたわけである。 たとえば「動乱 」('80)や「海峡 」('82)で海辺にたたずむ吉永小百合から遠望されるものは、日本の山河、日本の大地、日本の故郷である。これが他の女優であったなら、作品の出来不出来、役柄の配置設定、共演者とのコンビネーションなどに大きく左右されてしまうに違いない。 だが、吉永小百合はここで、伝統的な<男気>の風合いを持つ高倉健と並ぶ利もあって、ここにはまったき日本の<永遠>さえ見えるのである。 控えめであればあるほど美しさが匂い、寡黙であればあるほど熱情の強さが薫り、ひたむきであればあるほど<永遠>への道標が見える。そんな女優として、かつて吉永小百合は明らかに存在していた。 彼女は役柄を演じるタイプではない。役柄がむしろ彼女に寄り添う種類の女優である。もともと映画女優とはそうした大きなパーソナリティだったのである。今のところ日本映画最後の名品といってもいい「細雪 」('83)の雪子は、その意味でも満腔の想いを身ひとつにしまいこんだ、見事な適役でもあった。<吉永小百合>Sayuri Yosinaga(1945.3.13〜) フィルモグラフィ◆いま観ることのできる吉永小百合出演作品◆ JUGEMテーマ:映画 ]]>◆アンジェリーナ・ジョリー――なにものにも縛られない逸脱の<感性> http://actor-actress.jugem.jp/?eid=43 2008-10-16T12:04:42+09:00 2008-10-17T07:54:32Z 2008-10-16T03:04:42Z
コレ、プレイボーイの表紙なんですが、アンジェリーナ・ジョリーの魅力横溢の写真で、この表紙のために購入したようなものです。
まさしく普通の女性でない、逸脱の魅力といいますか、彼女が現代に生きている価値すべてが、逸脱の効能に充ちているのです。
まず生い... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 映画女優
コレ、プレイボーイの表紙なんですが、アンジェリーナ・ジョリー の魅力横溢の写真で、この表紙のために購入したようなものです。
まさしく普通の女性でない、逸脱の魅力といいますか、彼女が現代に生きている価値すべてが、逸脱の効能に充ちているのです。
まず生い立ち、家庭環境からの逸脱もあれば、その血統からの逸脱も感じられます。
その最大は見かけからの逸脱でもありますが、それを少しもとらえていない作品では見栄えも出てきませんが、これを知る作品ではもはや輝くばかり、男を虜にしてしまうに違いありません。
そもそも筆者がアンジーに開眼したのは「ポワゾン 」(2001)ですが、その猥雑な唇をアップで撮るその監督は出世作とも言われる「ジーア/悲劇のスーパーモデル 」('98)を撮った同じマイケル・クリストファー、まことに彼女を見せる勘所を心得きった名品といわざるを得ません。
彼女の趣味嗜好行為、そのいずれをとっても、なまなかではありません。その刺青ひとつをとっても、それはひとつやふたつの或る意味、化粧と呼んで済む程度のものではとてもなく、その時の相手の男性の名を後に潰して上書きしている箇所もあるようです。
左腕には兄のイニシャルであるHと、テネシー・ウィリアムズのことばがあるようですし、首の後ろにはアラビア語で意志の力を現わすことばが彫られているようです。太ももには黒い十字架があり、お腹には十字架とラテン語で……は私を滅ぼす、背中に大きな虎という具合に、日本で言えばシロウトの女性にはあるまじきふるまい。
これはさらに若き頃の自傷行為とも密接に絡んだ結果なのかもしれませんが、ナイフの収集といったものもあって実にある種一貫した流れが彼女にはあります。
そしてさらに国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の親善大使としての活動、難民の子を次々と養子にしてしまう実践、まさしくこの全力で生きる本人の言は偽りとはほど遠いことを感じさせます。それは常識的な生き方からの逸脱でもあります。
そしていよいよ私生活的にもアンジーのエポックメイキングとなるブラッド・ピットとの出会いの映画「Mr.&Mrs.スミス 」(2005)ということになります。
結婚をシニックに見据えたこの作品が、もう結婚慣れもしていそうな彼女のさらなる結婚のスタートとなったのは如何にもアンジーらしい、これも逸脱曲球ではありましょうか。
いまやブランジェリーナという、夫妻を示す造語まで世界を席捲、押しも押されもせぬ輝きですが、もとより美人らしい美人とは言えず、一種の崩れから生まれるような魅力は、この女優の一貫した生き方の写し絵のようにも見えます。
だからこそ彼女の映画は作品さえ超えて、そこに巧まざる生命力と、ほとばしる血の逆流とでもいった力感がほの見えているのです。アンジーが出ているなら退屈はない、というその存在は、いま作品を超えてスターという魅力のエキスを示すのです。
<アンジェリーナ・ジョリー>Angelina Jolie(1975.6.4〜) フィルモグラフィ
◆いま観ることのできるアンジェリーナ・ジョリー出演作品◆
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]]>◎エルケ・ソマー&ロザンナ・スキャフィーノ、これぞダイナマイト・ボディ! http://actor-actress.jugem.jp/?eid=42 2008-09-09T14:04:31+09:00 2008-09-09T08:34:41Z 2008-09-09T05:04:31Z JUGEMテーマ:映画
ダイナマイト・ボディとは、爆発するボディですから、このエルケ・ソマー2度めの爆発でも少ないくらい、今回は暴発も承知の超弩級ダイナマイト・ボディの再登場です。
このボディを知らない、知る機会のないことはまさに現代の不幸のひとつです。
... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 間奏曲 JUGEMテーマ:映画
ダイナマイト・ボディとは、爆発するボディですから、このエルケ・ソマー 2度めの爆発でも少ないくらい、今回は暴発も承知の超弩級ダイナマイト・ボディの再登場です。
このボディを知らない、知る機会のないことはまさに現代の不幸のひとつです。
このボディがまさに巷で覗けるとならば、現代の病弊=引きこもりなど、雲散霧消する筈です。
かくいう筆者も成人映画指定のため「甘い暴力 」('61)「欲望の海 」('63)を見逃し、生涯を悔やんだものであります。
その証拠にエルケ・ソマーとはメイドからハリウッド・スターの道をまたたくまに駆け登ったダイナマイト・ボディなのですね。その間、19歳〜23歳、誰でもできるワザではありません。
少々の魅力ならメイド時代、主人の慰みとなって終わる程度のもの、モノが違うわけです。
なにしろ世界がエルケ・ソマーを注視し、放っては置かないその時代だったのですね。
その成人映画でない通常映画を観てさえ、唸ったこの魅力! ボディだけではないコケットリー、結構、粋なといっていいくらい、爽やかさも携えた品の良さ、これで2度びっくりではあるでしょうな。
大柄であるはずなのに可愛い、このアンビバレンツも、さらなる魅力。
「バンボーレ 」('65)というオムニバス作品があるんですが、これがどういう作品かというと、当時のイタリアを代表する美貌、ヴィルナ・リージ、モニカ・ヴィッティ、ジーナ・ロロブリジダ にそれぞれ対抗させた美の競演だったわけです。
イタリア3美女にこのドイツ・ベルリン出身の新進女優を競わせたというところです。
題材はイタリア得意の艶笑艶冶な恋愛劇なのですが、イタリア出身の3美女と艶美を競ったというところに、彼女の魅惑に対する当時の世界の評価をいまさらに感じる次第です。いま観ることのできる彼女の英姿は少ないのですが、ポール・ニューマンと共演の「逆転 」('63)くらいがお奨めではあるでしょうか。
<エルケ・ソマー>Elke Sommer(1940.11.5〜) フィルモグラフィ
◎いま観ることのできるエルケ・ソマー出演作品◎
前回はエルケ・ソマーに配するにティナ・ルィーズでしたが、ダイナマイト・ボディとしてティナも遜色はないのですが、それらしき作品に欠けます。
そうです。ロザンナ・スキャフィ−ノ 。彼女なら申し分なし。生きているヴィーナスです。
その本領を観るためには2本の作品が絶対不可欠、「挑戦 」('58)と「堕落 」('63)を観なくてはならないでしょう。
「挑戦」はヴィスコンティの流れを汲みながら、骨太な社会派ドラマを造り続けたフラチェスコ・ロージの初期名作。「堕落」もまたマウロ・ボロニーニの代表作といっていい、筆者が青春映画のベストテンを選ぶならはずせない名品です。
そこでロザンナは、ただその見事な姿態をよこたわせるだけで、女の肉体が思想である!ことを表現して見せたのです。
「挑戦」では、社会改革のバネとして、その姿態は象徴的にも見えたものですし、「堕落」では、一切の青春の壁さえも無に帰してしまう、これぞダイナマイト・ボディの魅惑というものを、その横たわる肉体だけで表現して魅せたのです。
いかほど鮮烈であったか、見ればワカる、というものですが、残念ながら、いまDVDはありません。上の写真も、ややそのもぎ取り峻烈のその時期から離れているようで、存分に、それは伝えられないでしょう。機会をハズさず観ていただくしかない所以です。この「挑戦」のオリジナルポスターが鮮烈にして峻烈な、その片鱗だけでも伝えていることを祈るのみです。
「堕落」はのちに、プロデューサーとして大成していったジャック・ぺランの、青春スター時代の代表作のひとつでもありますが、出版社の社長である父親から愛人であるロザンナ・スキャフィーノを紹介される、ドラマの核ともなるシーンがあります。
ビキニ姿の彼女を「生きているヴィーナスだろ」と窓越しに垣間見せるアウトサイドには光輝くロザンナの肉体がありました。
女の肉体は思想である!と、その刹那、青年ともども筆者は感じたわけです。その意味でも、しゃべり過ぎる女はアンチテーゼにすぎません。肉体だけで充分雄弁に語りかける女こそ、ダイナマイトボディの謂いなのですから。
いかなるダイナマイトボディも作品との出会いなしに成立しません。この2作はまさに時期を逸さずロザンナ・スキャフィーノを輝かせ切った、僥倖と呼ぶべき幸せな奇跡(軌跡)なのです。
<ロザンナ・スキャフィーノ>Rosanna Schiaffino(1938.11.25〜) フィルモグラフィ
]]> ◎オリジナル・ポスター・ギャラリーに添えて…… http://actor-actress.jugem.jp/?eid=40 2008-07-08T16:55:38+09:00 2008-07-08T08:26:12Z 2008-07-08T07:55:38Z 時々はオリジナル・ポスター・ギャラリーを開催。
直木久容氏の似顔絵が秀逸な「大人は判ってくれない」など、主演のジャン・ピエール・レオがいたく気に入り、確かにオリジナルにも負けない出来栄えと思うけれども、きわめてまれなことで、オリジナル・ポスターには風合... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 間奏曲
直木久容氏の似顔絵が秀逸な「大人は判ってくれない 」など、主演のジャン・ピエール・レオがいたく気に入り、確かにオリジナルにも負けない出来栄えと思うけれども、きわめてまれなことで、オリジナル・ポスターには風合いというか、その空気感、時代の香気というべき輝きも備わって、捨て難いことが多い。
若き20代のゲーリー・クーパーと、伝説と化したマレーネ・ディーリッヒ によるいま見ても垢抜けたその振舞いのディートリッヒに押され気味の「モロッコ 」('30)。
スター中のスターとなればそのゴシップすら作品に微妙なその公私混濁が投げかけられて、スターの光背をいやがうえにも輝かせ、高めて行く。
クーパーにはその質実温厚なキャラクターそのままに、さほど騒がれたロマンスも無いが、「摩天楼 」('49)当時のパトリシア・ニールとのそれは有名。
ディートリッヒはフォン・スタンバーグを皮切りに、ジャン・ギャバン、そしてアーネスト・ヘミングウェイがその相手としてノートリアス。生涯一度の結婚で、離婚なし、その合間のいわばスキャンダルもこうして颯爽、生きる切っ先が颯爽とした感じがするね。
それにロマンスというのは、男には何か気恥しく、あくまで女のものであるという感じはこのふたりがちょうど巧く代表して、男女のありようも示している気がする。
フランク・キャプラもあまりに遠くなりにけり。
というのも、古き良きアメリカを見たければキャプラ作品を観るしかないからだが、それ以上にコロンビア映画が現ソニー・ピクチュアズとなっているからで、アメリカの良心というべき部分を買収されたように感じたアメリカ人の気持ちはよーくワカる。
それが一番よーくワカる作品が「スミス都へ行く 」('39)である。ジェイムズ・スチュアートもキャプラ映画が原点であることを押さえておかないと、ジョン・フォードの「リバティ・バランスを射った男 」('62)の面白さも半減するだろう。
この史上の名作の前にクーパー+ジーン・アーサーで「オペラハット 」('36)というキャプラ作品があるが、その原題はMR. DEEDS GOES TO TOWN。
「スミス…」がMR. SMITH GOES TO WASHINGTONであることからすると、キャプラ自家薬籠中の題材を更に磨き切った作品とも言えるだろう。ともに最後の演説が白眉、というのも、その類推を高めるわけである。
西部劇を知らぬ世代がほとんどになりつつあるこの時代に西部劇はどんな位置づけで見られようか、と思う。フロンティア・スピリットの原点でもあった西部劇、モニュメント・ヴァレーもジョン・ウェインも遥か彼方の時代の西部劇。白人の都合のいいように偏向したドラマ造りと言えなくは無くても、それでも西部劇はオトコノコを男の子とさせる作用をもたらしてはいたのだ。小松崎茂ともども。
「シェーン 」('53)の決闘シーンのカッティングを見て、こんなのTVでさんざん観た二番煎じと、平気で書く若き感想を眼にしたけれど、驚く前にあきれるばかり。「シェーン」製作時TVはまだ草創期、学んだのはTVで、「シェーン」ではない。
それよりもなによりも、西部劇の名作は意外にその美術、自然描写に秀逸なことが多いのである。ドンパチしか目に入らぬようでは感性のお粗末を露呈するだけ、自然はかくも濃く深いという、葬式のシーンにも目配りが欲しい。
初めて見たジーン・アーサーが最後の映画出演とは知らず、若きジーン・アーサーはのちのち追いかけたものだった。少し辿るだけで映画史も見えてこようかという存在。
未輸入の「希望の降る街 」('42)は「シェーン」と同じジョージ・スチーブンス監督作品。DVDも存在。これまた、めくるめく快哉。「歴史は夜作られる 」('37)もまた+シャルル・ボワイエで、その真価が観れる作品。観るべき哉。
]]> ◎女優。この不可思議にして魅惑に充ちた魔物! http://actor-actress.jugem.jp/?eid=39 2008-06-26T18:59:50+09:00 2008-06-26T10:31:29Z 2008-06-26T09:59:50Z スザンヌ・プレシェットの死のショックで、沈んでいたわけではありません。
映画は変わりなく観て、また異なる女優さんにも岡惚れして、少しも変わらぬつつがなき日々ですが、映画ブログの難事はおいそれとその写真が集まらぬこと、手間暇がかかること、他種ブログの幾層... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 間奏曲
映画は変わりなく観て、また異なる女優さんにも岡惚れして、少しも変わらぬつつがなき日々ですが、映画ブログの難事はおいそれとその写真が集まらぬこと、手間暇がかかること、他種ブログの幾層倍、と言っていいでしょう。
でもその時間をかけても楽しいからいいのですが、天秤に掛けるとやはり違う映画を観ることの時間に割いてしまうジレンマがあるわけです。
最近遅まきながら発見したのが、映画も埋もれた名品と思いますが、主演したジェニファ・ジェイソン・リー がそのキャリアのせいでしょうか、注目しました。
映画は「黙秘 」('95)で、まさしく生き難き人生が刻印され、その一翼を担ったのがジェニファ・ジェイソン・リーだった。興味を覚え、続いてその監督作まで観たが、その「アニバーサリーの夜に 」(2001)は監督としては空振り、女優としてはそのルックスがやはりよろしき。
観る作品が少ないと余計観たくなるのが、過去の美人女優。
中でもやはりジーナ・ロロブリジダ は別格。こうしてロロブリジダ・アンソロジーの一葉をとどめたくもなる。これは「9月になれば 」より。
ハリウッドが放っておかなかった美貌の中でも、ダイナマイトだったね。
作品がどうこう言う前に、彼女の存在がもう既に代表作。
ボロを着ててもその美しき曲線に変わり無し、蓮っ葉だろうが、伝法だろうが、許してしまえるこんな美貌はそんじょそこらに歩いていないんだよね。
さらにはこのファラ・フォーセット 、奥深き書庫より発見、最も彼女のパワーを帯びた一葉ではなかろうか。颯爽たるスポーツウーマンにして、セクシャル・ピンナップとしても健康そのもの。
役柄と言うほどの役柄も演じなかったけれど、それでもスター。映画スターというよりTVスターであったけれど、それで諸外国を席捲してしまったというのが凄いところ。
同じチャーリーズ・エンジェル・トリオでも、初代の方がずっと大人っぽいのは、これも時代の成熟度が違っていたからかもね。
健康というのは、いやらしくないこと。とでも言った溌剌ウーマンの先駆けやったんじゃなかろうか。もちろん、いやらしくてイイのもまた別の魅力、というのは置いておいて。
いやらしき魅力は、いずれまた。これも写真がねえ。
]]> ◆スザンヌ・プレシェット――これ以上ない、青春期における恋人の<至福> http://actor-actress.jugem.jp/?eid=38 2008-01-31T12:17:21+09:00 2008-02-03T10:22:42Z 2008-01-31T03:17:21Z 2008.1.19が命日になってしまいました。1960年前後に青春を迎えていた方にとっては、まさに青春の、文字通りの死、とも思えたことでしょう。
スザンヌ・プレシェット、もはや知らない人の方が多いかもしれません。
それはまことにもったいないことなので、今回はいさ... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 映画女優 2008.1.19が命日になってしまいました。1960年前後に青春を迎えていた方にとっては、まさに青春の、文字通りの死 、とも思えたことでしょう。
スザンヌ・プレシェット 、もはや知らない人の方が多いかもしれません。
それはまことにもったいないことなので、今回はいささか趣向を変えて、そのたぐいまれな青春の美貌を、ひたすらフィーチュアする、その趣旨のみでお送りしたいと思います。
青春期にこんな恋人がいたなら、青春期の苦悶も雲散霧消、世界も輝いて見えようかというほどの、青春のマドンナ、それがスザンヌ・プレシェットなのです。
その代表作はただ一つ「恋愛専科 」('62)なのですが、本日現在、DVDがありません。ワーナー・ブラザースは何してる? というわけですが、ここで筆者が一肌脱ぎましょう、というわけで、スザンヌ美貌アンソロジーを組んでみました。
この映画のとき、彼女は完璧に主演スターであったにもかかわらず、タイトルは4人目、頭にイントロデューシングと付いています。
トロイ・ドナヒュー 、ロッサノ・ブラッツイ 、アンジー・ディッキンソン に続いての4人目、あくまで新進女優ではあったのです。
それがしかし半世紀を経た今も、この作品を観て心躍るのは、スザンヌの魅力ともども映画の極めて健康な青春への視座があるからです。
ローマを舞台にした作品としては「ローマの休日」('53)とともに並び称している筆者であります。
(原タイトルはローマ・アドヴェンチャー)
スザンヌが演じるヒロインはプルーデンス・ベルといいます。
「旅情 」('55)のロマンス・グレイ=ロッサノ・ブラッツイの口説に応えるこのセリフ、ですからその名前にゆかりがあるわけですね。プルーデンスの意味は慎み深さということのようですから、プルーデンス・ベルとは、慎み深い鐘、ということになるわけです。
この職人技の脚本を書いたのが監督も兼任するデルマー・デイヴィス 、主題をヒロインの名前に潜めているわけです。
それもその筈、あの名作「邂逅 (めぐりあい)」('39)「めぐり逢い 」('59)でもレオ・マッケリー との共同脚本に名を留めるキャリアの持ち主だからです。
つまり、おとなの馥郁たる恋愛をその2作で果たし、ここでは青春における恋愛<事始め>レッスンを描いたことになります。
それにしてもスザンヌの、この清潔感ある美貌は、この作品が青春のモニュメントとなった最大の理由とも言えるでしょう。
そして、カップルを組むことになるトロイ・ドナヒューです。
この時すでにサンドラ・デイ との「避暑地の出来事 」('59)ダイアン・マクベイン との「二十歳の火遊び 」('61)で代表的な青春スターだったのです。両作ともデルマー・デイヴィスの作品ですから、まさしくトロイの育ての親であり、スザンヌを迎えることで、青春スターカップルの決定版を果たしたことになります。
ふたりがその距離を徐々に縮めていくゆくたても自然でいいのですが、上記すべての青春映画にマックス・スタイナーが協力していることは見逃せません。
<アル・ディ・ラ>の印象的な使い方、<プルーデンスのテーマ>というべき主題曲も静かに響いて、観るたびにその美しい旋律に感銘してしまいます。ローマ観光案内の一面をとっても達者なものですし、その背景にこの音楽効果は絶大なものでした。
ふたりの恋愛の進行が音楽のみならず共に乗るスクーターやロープウェイ、さらには銀の燭台によって、青春の理想の恋愛として、いやがうえにも昇華されてゆくのです。
この銀の燭台、観た時の翻訳者によってドンの誠意のシルシの燭台であったりもしますが、一番最初に見た記憶では、ぼくらの純潔のシンボル、という扱いだったようにも記憶します。
そして、その言い方がプルーデンスへの贈りものとして、最もふさわしいもののようにも思います。
芒でプルーデンスの唇をくすぐる、ドンの振る舞いに、若き恋人たちはきっと同じことをやりたくなるだろう。
理想のカップルによる、理想の振る舞い、とでもいったところです。こんなじゃれ合いが意味なく楽しいのが、青春の証し、です。
山小屋に泊まるとき、新婚カップルに見誤れることを、潔癖に嫌ったプルーデンスは、ほかに部屋がないと聞いて同室を納得するが、ドンはテラスで毛布をかぶることとなる。幸い、季節は夏である。
ひと晩、まんじりともしないプルーデンスの寝姿がまた魅力にあふれる。現代ではすぐベッドシーンとなるところだが、この抑制もまた良き哉、と感じさせるところが、この作品のハートだろう。
ドンの元恋人リーダ(アンジー・ディッキンソン)が戻ることで、プルーデンスの惑溺に水が差されます。
その相手と対決するように乗り込んで、女としての役者の違いも悟り、うっすらと涙をにじませ席を立つプルーデンス。追いかけるドン。
こんな汚れなき娘を泣かしちゃいかんよ、と誰しもに感じさせるプルーデンスの涙です。
泣いても、やはり汚れなき美しさです。
お化粧中のお茶目なスザンヌ・プレシェットです。
これらの写真を観るだけでも、どうでしょう、スザンヌのファンにいつのまにか染められてしまわないでしょうか。
青春のマドンナと呼ぶ理由がお判りいただけるかと思います。
プルーデンスとリーダの対決は現代ではさらに意味をもつでしょう。
何故なら、現代ではほとんどの女性がリーダになってしまったからです。アンジー・ディッキンソン・クラスの女性でこそ、リーダの生きざまも、理由も意味合いも出てくるのですが、全員がリーダになっては幸福になりようもありません。
プルーデンスの価値はますます高まるこの時代、なのです。
<スザンヌ・プレシェット>Suzanne Pleshette
(1937.1.31〜2008.1.19) フィルモグラフィ
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]]> ◎歴史に洗われたスターたちへの旅をする! http://actor-actress.jugem.jp/?eid=37 2008-01-25T05:07:54+09:00 2008-01-24T20:36:53Z 2008-01-24T20:07:54Z
ご無沙汰です。
ご無沙汰の最大の理由は愛用PCが壊滅、同時に多くの画像を喪失したことです。
気を取り直し、再スタートです。タラが焼野原になっても立ち上がろうとしたスカーレットも、こんな心境でしょう。
日本にいると、アメリカ寄りの政治のせいもあるので... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 間奏曲
ご無沙汰です。
ご無沙汰の最大の理由は愛用PCが壊滅、同時に多くの画像を喪失したことです。
気を取り直し、再スタートです。タラが焼野原になっても立ち上がろうとしたスカーレットも、こんな心境でしょう。
日本にいると、アメリカ寄りの政治のせいもあるのでしょう、諸外国の優良作品、ひいては見るべき美貌のスターにも遭遇できないことになります。井の中の蛙、濁流の中の孤児、とでもいったありさまです。
故にこそ、過去にもさかのぼって、観ることができれば正式には未輸入の作品にも出会い、まさしくクラシックとなりながらも見逃している作品も多く渉猟しているわけです。
その最近見た映画のブログである「この広い空のどこかで今日もいい日旅立ち 」の記事のうち、<最近観た映画>の項目記事がもうすぐ300記事、つまりは300作品ともなります。併せてご高覧いただければ幸いです。
歴史に洗われた古い作品を観ていますと、その時代の感性、もはや人類が失いつつある感性にもふと気づく時があります。
それは流行も超越した、まぎれなき視座であり、そこにいるスターもまた、喪失してはならない感性で輝いています。
アカデミー賞は映画大国でもあるアメリカの歴史あるお祭りですが、諸外国の映画関係者や作品に目配りのある名誉賞や外国映画作品賞こそいつも注目です。
本ブログもそんな視座で名だたるスターを拾い上げてゆきたいものだと、改めて思う次第です。もちろんいかにもアメリカらしい伝統の風雅にも大いに接触していきたいものでもあります。
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]]>◎ファラ・フォーセット&ステファニー・パワーズ&リンゼイ・ワグナーTVM女優etc. http://actor-actress.jugem.jp/?eid=36 2007-12-10T10:24:22+09:00 2007-12-11T09:53:51Z 2007-12-10T01:24:22Z 「チャーリーズ・エンジェル」('76〜'81)の再放映を観ていると、二代目にくらべて、はるかにおとなっぽい色気があることに改めて気づく。やっぱりこの3人の方がなんと言ってもおとなだし、バカっぽくもなくて、それぞれの個性はよりエレガントで抜けている。スリム好き... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 間奏曲 「チャーリーズ・エンジェル 」('76〜'81)の再放映を観ていると、二代目にくらべて、はるかにおとなっぽい色気があることに改めて気づく。やっぱりこの3人の方がなんと言ってもおとなだし、バカっぽくもなくて、それぞれの個性はよりエレガントで抜けている。スリム好きにはケイト・ジャクソンだろうし、絢爛たるスポーツウーマン風はファラ・フォーセット、品よくしっかりたおやかな美人はジャクリーン・スミスという色分け。
しかし、米TVスターでファラ・フォーセット ほど時代を席捲した女優も少なかろう。当時まさしくスポーツウーマンタイプのセックス・シンボルではあった。ドラマより彼女らが動き回る姿態が、カッコ良くさわやか。ファラのみが圧倒的なブレイクだったが、結構それぞれのパーツは大胆に大きい。暑苦しいくらいのライオンヘアーがそう見えないのは、その鮮やかなブロンドに負けないそれぞれのパーツが明確に存在を主張、動きそのものが健康的で、ことにこれも大きく開かれた際に覗く白い歯がお見事。まあ、カッコ良かった、というわけ。
その潮流のために他のふたりが霞んでしまうことにもなったが、スリムで女性好みとも思われるケイト・ジャクソン より、私的にはジャクリーン・スミス の方の美貌に魅き寄せられてはいたものだった。
その彼女と同じジャクリーンを演じたTVM「ジャクリーン・ケネディ物語 」('81)の彼女を観てからは、同じジャクリーンでもこちらの方が……と感じるくらい。緑を基調としたカラーの冴えもあって、ドラマも良く仕上がっていて、惚れ直した。一時は部分的にもそのカラー映像が好きでVHSのドル箱だったほど。いま見直してみると、3人の中では正統派美人度ではジャクリーンがピカ一ではある。
<ファラ・フォーセット>Farrah Fawcett(1947.2.2〜) フィルモグラフィ
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<ジャクリーン・スミス>Jaclyn Smith(1947.10.26〜) フィルモグラフィ
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<ケイト・ジャクソン>Kate Jackson(1948.10.29〜) フィルモグラフィ
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と、カッコイイ女性の活躍のドラマはこれを契機かあれこれあり、「探偵ハート&ハート 」('79〜'84)など、ステファニー・パワーズ をドラマそっちのけで、彼女を観るためにのみ見たことも思い出される。
その魅力を明かす写真がないのが残念だが、この当時、動きの美しい女性が目立つ時代でもあったので、スチルではとてもその魅力は伝達できぬとあきらめておこう。美しいものに目がない(目利きの?)、いささか気も多い筆者である。
ドラマそっちのけで見た彼女の肢体は華やかで颯爽としていて、そのスタイルの良さに惚れぼれしていたものだ。ウィリアム・ホールデンの最後の方の愛人ともいわれるが、最後の方の相手がステファニーならこれも良き哉、死して本望である。
聞けば共演者ロバート・ワグナーの妻、若くして亡くなったナタリー・ウッドと親友で、一緒にエクササイズなどしていれば、まこと美しき風景哉、でもある。また観てみたい女優の一人!
こういう女優を知っていると拾い観する作品にも事欠かず、楽しみも深い、といわけだ。
<ステファニー・パワーズ>Stefanie Powers(1942.11.2〜) フィルモグラフィ
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そして地上最強の美女「バイオニックジェミー 」('76〜'78)リンゼイ・ワグナー となるわけだ。
強靭なサイボーグ・ウーマンと化したスーパー・ウーマンぶりが売り物だったから、やはりこのスチルだともの足りないのはステファニーと同じ。
もともとファラ・フォーセットの当時夫であったリー・メジャーズの「600万ドルの男」('73〜'78)の一エピソードから派生したドラマで、ジェミーと共に愛犬マックスが『走れ!マックス!』と毎回スーパー・ランニングをみせるのもなかなかのご愛嬌だった。
しかしリンゼー・ワグナーが出演している映画作品の名作はこの前にあって、青春映画としても屈指、学園ものとしても甘ったるくない作品が「ペーパー・チェイス 」('73)という、必死の勉学も良き哉、というあと味の名品。
以後、これだけの映画作品がなく、ひたすらTVMの女優としての生を全うしたようだから、当方もあまりお目にかかることが無くなったわけだなあ。
<リンゼイ・ワグナー>Lindsay Wagner(1949.6.22〜) フィルモグラフィ
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]]> ◆シャーリーズ・セロン――しなやかな肢体に隠された翳ある<野性> http://actor-actress.jugem.jp/?eid=35 2007-12-01T13:27:08+09:00 2008-02-03T22:25:10Z 2007-12-01T04:27:08Z 左はNHKBS2の名番組、アクターズ・スタジオ・インタビューの、シャーリーズ・セロン自らの、父親が母親に射殺(シャーリーズが暴行を受けた時の正当防衛として)された時の状況を語るシーン。
シャーリーズ・セロン、南アフリカ産。仏独混血。
初めて彼女を<発見... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 映画女優 左はNHKBS2の名番組、アクターズ・スタジオ・インタビューの、シャーリーズ・セロン自らの、父親が母親に射殺(シャーリーズが暴行を受けた時の正当防衛として)された時の状況を語るシーン。
シャーリーズ・セロン 、南アフリカ産。仏独混血。
初めて彼女を<発見>したのは「ディアボロス/悪魔の扉 」('97)です。映画についてはリンクをご覧いただくとして、このシャーリーズ、その美貌にも魅かれましたが、映画において明るいシャーリーズから哀しみのシャーリーズの顔へ、激変するように変わっていく、ひと口で二度おいしいシャーリーズが、この作品は観れるわけです。
そうです。これは美しいだけの女優ではないぞ!と予感を持ったわけです。
その後、注視する如く彼女の旧作新作を見てきました。ご承知のようにアカデミー主演女優賞も「モンスター 」(2003)で受賞しました。しかしシャーリーズのいない、一種仮面のシャーリーズ映画とも言えるわけですから、翳に隠れたシャーリーズはあれ1回だけでよろしいかと思います。そういう作品をしかし一度は選択したシャーリーズに、激しく、芯の強い彼女の内面を垣間見ることはできるわけですけれども。
「スタンドアップ 」(2005)はまだしもでした。そこにはやはり表情の良く動くわがシャーリーズがいましたから。汚れ役には違いないですが、「モンスター」ほど<別人>になる必要はもうないのです。受賞後の、また賞狙いというような外野の意見もありましたが、作品としても、そんな甘っちょろい評判を蹴飛ばすものでしたし、見逃した方にはかえってお気の毒と申し上げたい出来です。
受賞後、いちばん期待して観たのが「トリコロールに燃えて 」 (2004)でした。映画の重要なパートとも言っていい、<トライアングル・ラブ>を素材としているのと、久しぶりの美貌をそのまま楽しめそうだったからですが、前者の要因はいささかハズレ、後者の要因は堪能しました。
しかし、いまさらながらシャーリーズ・セロン、百面相ですね。
女優だから誰しもその様相は在るわけですが、シャーリーズの場合、それが作品ごとにより顕著に現われる気がいたします。
「ディアボロス/悪魔の扉」もそうですし、こうなるとかえって「マイティ・ジョー 」('98)や「スウィート・ノーベンバー 」(2001)など、それが素のままのシャーリーズのように見えてくるから不思議なものです。
今という同時代に活躍し、これからさらに変貌していく可能性の高い女優ですから、目が離せません。
相手役もこの身長ですから、普通に立っていては全身ショットは見栄えで負けてしまいます。ハリウッドに移入してきた久々の逸材という眼で観ています。
幅広くいろんな役柄を料理できる素材でもあります。まさしくお楽しみはこれからだ!というところです。
<シャーリーズ・セロン>Charlize Theron(1975.8.7〜) フィルモグラフィ
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]]> ●マルクス・ブラザーズ――天空を駆け抜ける稀代のボードビリアン! http://actor-actress.jugem.jp/?eid=34 2007-11-22T10:52:28+09:00 2008-02-03T22:37:45Z 2007-11-22T01:52:28Z マルキシズムはマルキシズムでも筆者はマルクス・ブラザーズ一辺倒!
この世に在るすべてを笑いで蹴飛ばすがごときアナーキズム!
近頃頻発するおえらいさんの不祥事など、ハナからマルクス・ブラザースにかかれば木端微塵!
――な〜に?木っ端役人なぞ、木端微塵じゃ... ●伊崎 亮 & ◆Mail Magazine 映画男優 マルキシズムはマルキシズムでも筆者はマルクス・ブラザーズ 一辺倒!
この世に在るすべてを笑いで蹴飛ばすがごときアナーキズム!
近頃頻発するおえらいさんの不祥事など、ハナからマルクス・ブラザースにかかれば木端微塵!
――な〜に?木っ端役人なぞ、木端微塵じゃい!――てなぐあい!
写真左より長男チコ、三男グルーチョ、二男ハーポ、五男ゼッポ(四男ガモが最初に抜け、ゼッポは初期数作で脱退、残った3人が以後才気あふるるハーモニー)
もともとは舞台人であるが、その抱腹絶倒、ハチャメチャな生命力を映画界は放っておかなかった。英語堪能であるならその笑いの絶妙はさらにいや増すというし、舞台がこれまたほんとうの本領ともいうが、それでは少年時代3本立ての1本に「マルクスの二挺拳銃 」('40)が混じることもなかったろう。
映画なればこそ今も繰り返されるマルクス・ブラザーズである。ナニ、字幕でも十分楽しめるし、その限界は、コレ、彼らの風貌が突き破ってしまうのことよ!
この歴史的遺産は日本の喜劇人にも多くを残し、ドリフターズやコント55号は、その出自をマルクス・ブラザーズとする――そう解説してもいいほどである。
あの髭ダンスこそ、グルーチョがいなければ生まれたろうか。或いは欽ちゃんのいたぶりに応える二郎さんの、掛け合いのすこぶるアナーキーな風合い。
さほど歳も離れていないせいか、映画から伺うとグルーチョが長兄のように見え、ハーポが末っ子のようにも見えるのは、まさしくその芸風のせいのようではある。チコ・マルクス はおおよそ進行係のような役目を勤め無表情ながら結構強気な面も秘めている。、ハーポ・マルクス は一切しゃべらず、パントマイムがすっかりおとぼけ味、天然ボケのチリチリ頭のうえ、それこそ一切がっさい収納ポケットのコートを着ていることが多い。最も動きも激しくナンセンスでマシンガントークと呼ばれた毒舌がグルーチョ・マルクス 、眼鏡と髭の持ち味のほか、グルーチョ・ウォークとでも呼べる独特の腰をかがめ滑るように歩く姿が特徴。
なにしろ毎度定番のようにあるチコのピアノ、ハーポのハープ、その他あれこれ見ると楽器は各自ほかにもいろいろいじくるようで、グルーチョのハーモニカもあったし、それぞれがいい加減なものでなく至芸の域。
どの作品を観ればいいかというと、これがなかなか難しい。
それぞれの作品のお膳立ては背景としてのヴァラエティ以上ではなく、マルクス兄弟の会話はストーリーの成立の要素であるよりその感覚の特異さを際立たせることに留意され、彼ら以外の会話もまたギャグの呼び水に過ぎず、装置や小道具が異なったギャグを呼び寄せ、すべてその笑いはブラックでシュールであることに気づかされることこそが、作品を超えるテイストだからである。
しかしそれではあまりに不得要領のそしりを招きかねないだろうから、彼らの風貌の魅力とともに、これだけは見ていただきたいと思うのが、「我輩はカモである 」('33)のなかでも白眉と言える名シーン、3人グルーチョのくだりだろう。
3人が3人ともグルーチョで、同じ画面に遭遇したりすれ違ったり、対面する相手もその言うことなすことで混乱を招く、しかもいよいよの傑作はグルーチョとグルーチョが鏡に向かいあうように対峙するところである。
こんなドラマとも独立して魅力溢れるシーンは、各作品随所にちりばめられているわけで、つぶさに点検して改めてその事典でも造らないといけないこととなってしまう。
それほどに、マルクス・ブラザーズ流儀、お話そっちのけのいたずらの天才だったのである。いささかハチャメチャ・ナンセンス、重ね塗りの出たとこ勝負でありながら、大団円に至る突き抜け方のテンポと呼吸こそまた逸品、と言えるのである。
<マルクス・ブラザーズ>
チコ・マルクス Chico Marx(1887.3.22〜1961.10.11) フィルモグラフィ
ハーポ・マルクス Harpo Marx(1888.11.23〜1964.9.28) フィルモグラフィ
グルーチョ・マルクス Groucho Marx(1890.10.2〜1977.8.19) フィルモグラフィ
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◆マルクス兄弟のおかしな世界◆
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